グラフィック2020.06.24

「ときどき紙で指を切る幸せ」

第58話
とりとめないわ
Akira Kadota
門田 陽

決して電子書籍を否定するつもりはありません。もちろんKindleは持っていますし、その良さは十分承知しています。それでもあえて言うと本はやっぱり現物に限ります。そしてその購入の仕方はAmazonではなくもちろん書店で直接見て触れてからです。

僕は本が好きです。好きという一言ではおさまりきれないので大好きなのだと思います。では趣味は読書かというとそうではありません。落語や相撲や映画や芝居を見る時間に比べると読書の時間はほんのわずかです。要は積ん読が好きなのです。部屋は四方を本で囲まれていて所々タワーのように天井まで積み上がっています(※写真①)。これでも随分減らした(※クリエイティブ探検隊⑳参照)のですが、いわゆるひとつの病みたいなものですね。大きな地震が来たらまずいです。ま、本に埋もれて逝くのなら、まさにそれこそ本望なので仕方ないです。

写真①

非常事態宣言の最中、書店も大手から中小までほとんどが自粛休業していました。テレビのニュースやワイドショー等では盛んにパチンコ店に行く人たちを取り上げていましたが、僕はその期間中ずっと本屋さんに行きたくて行きたくて仕方がありませんでした。実際に散歩の途中やリモート勤務の隙間時間を盗んでは有楽町にある行きつけの本屋さんの前をうろうろして、いつ開くのかを何度も何度も確かめました。ある意味禁断症状みたいなものなので、パチンコに行った人たちを攻めることなどできないし気持ちも理解できます。理屈じゃないんですよね。酒飲みがいいことがあった日も悪いことがあった日も何にもなかった日もそれを肴に酒を飲むみたいなものという例えはいよいよわかりにくいですか(苦笑)。ともかく毎日足が向くのです。

宣言解除後すぐにたずねたのは神保町の三省堂書店です。単純に大きさやスペースだけだと池袋や渋谷のジュンク堂の方が上回っている気がしますが、僕はこの三省堂や丸の内の丸善の方が落ち着きます。新宿だとブックファーストよりもやっぱり紀伊國屋の方が安心して過ごせます。老舗贔屓。その辺はオッさんなので許してください。で、文庫や新書の棚をぼんやり眺めていたら懐かしく思えるタイトルが目に入りました。J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(白水ブックス)」。確か家の本棚にあったはず。ずいぶん昔、学生の頃に読んだ気がします。手に取ってパラパラめくって裏表紙を見ると「読みくらべれば、さらに面白い村上春樹訳キャッチャー・イン・ザ・ライ(白水社)」とありすぐ隣に並べられています(※写真②)。僕はハルキストではないですが安西水丸さんとの共著のシリーズはとても好みで揃えてますし他にも有名どころは持っています。

 

写真②

これはもう比べるしかないです。家に戻ると本棚の片隅にやはりありました。表紙にピカソの線描きがありますが他はほぼ同じデザイン。多少飛ばしながら一気に2冊を読み終えました。新訳(村上春樹版「キャッチャー・イン・ザ・ライ)は旧訳(野崎孝版「ライ麦畑でつかまえて」)がアップデートされた感じでした。元々原作が今から69年前に出されその頃のティーンエージャーの口調やライフスタイルがうまく表現されていると絶賛された本です。その空気感を大事にしながら今の時代(と言っても村上版でももう17年前ですが)に自然だと思える文体で読みやすかったです。しかし一番気になったのは野崎版には本編のあとに訳者の解説があるのですが、村上版にはそれがなく、「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。」という訳者(村上春樹)からの一文が添えられていたこと。これがとても引っ掛かって本屋さんに戻り今売っている「ライ麦畑でつかまえて」の後ろをめくると案の定こちらも訳者解説がなくなっています。きっと原著の版権を持っている誰かとこじれたんだろうなぁ、とか想像します。

こうなると、俄然この村上春樹の解説部分が読みたくてたまりません。ムズムズしながらアレコレ探すとなんと見つかりました!村上春樹・柴田元幸の共著「翻訳夜話2 サリンジャー戦記(文春新書)」。帯に「幻の訳者解説収録」とあります!!読みました。ひと言で言うと「サリンジャーは変人」以上。

あともうひとつ。僕の「ライ麦畑でつかまえて」の本の中から映画のチケットの半券が出てきました(※写真③)。栞代わりにしていたのでしょう。ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」。一気に濃い記憶が甦ります。見た映画館のことも見終わった後に行ったお店のこともそこで飲んだアーリータイムズの味も全部思い出しました。紙の本のおかげです。あと、紙の本や雑誌でときどき指(人差し指が多い)を切って悶絶することがありますが、あれはあれで短所ではなくリアル世界のいい所だと思うようにしています。

写真③

ところで僕は洋画や洋楽のタイトルは原題そのままがいい派ですが、「ライ麦畑でつかまえて」という邦題はチャーミングだな、という話はまたの機会に。

プロフィール
とりとめないわ
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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