ボクは多数でなく小数者だ。だからこそ自分自身が観たい映画を撮ろうと思ったが、予想もしない企画が舞い込んできた

Vol.016
井筒和幸の Get It Up !
Kazuyuki Izutu
井筒 和幸

82年は、映画を見てはなけ無しの金で酒を呑んだりの、ぐうたらな日々が続いた。

 先輩の結婚披露宴で、大島渚監督に久しぶりに会ったら、「今度、外国ロケで、デビット・ボウイや坂本龍一らで日本軍の捕虜収容所モノを撮るんだよ。そういう飛び道具たちをキャスティングしないと、(配給)会社は乗ってこないんだな。世の中変ったね」とこっちから伺ったわけでもないのに言い訳するように、苦笑いしていた。客が入ってくれて当たらないと“映画”にならないような、つまり、映画という商品の作り方が先に問われる時代になっていた。

映画界が興行ビジネスの理屈にますます支配されていくだけなのかと思うと、うんざりだった。映画はビジネスだ? 保険の外交員みたいな言い方は止めてくれ、だった。映画は博奕じゃなかったのか。海の向こうから『スター・ウォーズ』やスピルバーグ製の幕の内弁当のような享楽モノが鳴り物入りで現れようとも、日本の映画はもっと別なんだ。もっと別世界があるんじゃないのか、と自分に言い聞かせていた。

 でも、ボクら若手が新しい発想と新しい画作りの手腕が売りモノだから、映画を作りたいなら御用はいつも承りますよという顔で待っていても、声はかからなかったし、こっちもなかなか「小粒でもピリリと辛い」味のある企画は浮かんではこなかった。

 ピンク映画の先輩、山本晋也さんは「映画は芸術でも娯楽でもないんだ。その真ん中、芸能なんだな」とよく言っていた。芸能とは「真理を伝えるワザ」なのだとも。友人の詩人も言っていた、「どうして日常は退屈なんだろう。退屈だから、映画館があるのだ」と。

 

ボクには「憤怒と哀楽」の日々はあるにせよ、心をさらにかき乱してくれるために映画はあってほしかった。世間のまなざしなんてクソ喰らえ!という感性に満たされた映画が観たかったのだ。

人々のまなざしがどうした、道徳観だと? なんだそれは。道徳なんてその時の為政者たちの都合のいいように出来上がってるものだろうが。時が変われば変わるのだ。昔の大正時代なんてテロ騒動も不倫騒動も当たり前だったぞ。

道徳的な結末に安堵する? 正義が勝つ勧善懲悪しかないのか? 多数の人たちが理解できる話だと? 200万人に認められて受け入れられる愛と悲しみに溢れた物語で有名人たちが居並んでいたら当たるって? 

それがメジャー会社の映画ビジネスってわけか。そんな見る前から分かったような映画なら見る必要がないだろ。「ラストシーンに泣ける」なんて人を小バカにしたような宣伝文句も現れた頃だったが、ボクは、そんな多数の人たちの日常精神安定剤みたいな映画は、作れないだろうなと思っていた。

 

ある日、古くは日活ロマンポルノの『濡れた荒野を走れ』や、近作では『セーラー服と機関銃』などを手掛けたキティフィルムの大先輩プロデューサ―から、久しぶりの電話がかかってきて、「おい、いつ、東京に戻って来れるんだ?ちょっと読んでほしい原作があるんだな。小説じゃなくて、漫画なんだけど、ちょっと売れてる人気作家のやつなんだ?オマエは漫画なんかバカにして読まないんだろうが」と、ボクを急き立てるのだった。

「はい、マンガは知ってますよ。山上たつひこの『喜劇新思想体系』とか『ずかし探検隊』なら」と答えようがなくて適当に言うと、「適当な奴だな」とすぐに返されて、「とにかく、近いうちに東京の日活撮影所の食堂に来てくれるかな? そこで話そうか」と言われた。

どんな映画の依頼なんだろうか、アクションモノじゃなさそうだ、でも半分、ワクワクして出向いて行ったら、そのプロデューサーがテーブルに差し出したのは、あだち充という漫画を読まない者は全く知らない作者の『みゆき』という漫画本10巻分で、さすがに面くらってしまった。何でも撮ってやるという、前日までのあの意気込みはどこに行ったんや?と自分に問い返していた。

 

その一冊を取って、ペラぺラとめくるとちょっと眩暈がした。線画だけで描かれたみゆきという少女(いや、少女ロボットのようなの顏立ち)が、「そうなの。でもね」と吹き出し台詞付きで微笑んでいるその二次元世界に、ボクは、茫然自失だった。

「これを実写でやれるかというわけだ」とそのベテランプロデューサーが用意したように答えてくれた。もうオレは30才だぞ、漫画本なんて中学の時に読んだ白土三平の『カムイ伝』や、少年マガジンの『ワタリ』から知らないぞ。東映が作った少年時代劇『大忍術映画ワタリ』の実写版に見入ったことはあるけれど、おい、まさか、あんな子ども映画を撮れということか・・・。

「どんな客が観るんです?」と聞くと、「このファンは大学生もいるんだな、うまく作るとヒットだ」と劇場映画のベテランは即答した。よっし、もう後には引けないな、売られたネタは受けて立とう。ボクも眩暈をごまかしながら、「ちゃんと全巻、読みます」と、予期せぬ大難関が待っているのも知らないまま、精一杯で即答した・・・。

 

(続く)

プロフィール
井筒和幸の Get It Up !
井筒 和幸

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


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