メジャー映画に出ていくのは、まるで内海から太平洋に船出する気分だった。気力を使い果たし、得たもの、失ったもの

Vol.012
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸 氏

「明日都合つけられるならよろしくね」と東映本社のプロデューサーから電話で告げられ、「はい、じゃ3時に行きます」と受話器をおいた時、確かに、ボクはちょっとだけ飛び上って喜んだと思う。飛び上る人生などそれまで経験していなかったはずだ。

と同時に、その東映という興行会社の月ごとに封切られるプログラム(番組)の一つを作らされるための、ただの「監督オーディション」かも知れないと思うと、自分の好みでない変な、客としてカネを払ってなら一生見ない題材、たとえば、高校教師と生徒の淡い恋の話とか、お化け幽霊モノとか、エロな未亡人とアオくさい青年の逢引きドラマとか、そんなのを撮ってくれと言われたらどう返事しようかと半分、不安がよぎっていた。心はうきうきしたが、何も聞かないうちから悩んでいた。

銀座の東映本社の最上階だったかな、だだっ広い会議室に通されると、製作本部の部長が現れるなり、「あんたは日活撮影所のロマンポルノ育ちなのか?」と尋問口調で聞かれた。

「いえ、助監督はしてません。日活じゃなくて、新東宝とかジョイパックのピンクです」と言うと、すぐさま、いかにも東大卒の製作幹部らしく、「あー、じゃいいんだけど、ちゃんとした35(ミリ)のフィルムで撮ったことはあるのか?日大の映画サークルの8ミリの卒業制作じゃないぞ」と念押しされた。

ピンク映画も立派な35ミリの作品だぞ、クソ野郎め、と心の中ではムカムカしていた。「あんたの『ガキ帝国』というやつさ、札幌の小さな小屋でたまたま見たんだけど、映画館にはかけられるスレスレのシャシン(映画)だとは思ったけど、若い元気があるのはあったわな」と続けられてもひとつも嬉しくなかった。

「アレはどうして撮ったの?8ミリをブローアップしたのか?」とも聞かれたので、「アメリカのパナビジョン作品です」と睨みながら言い返していた。
「そうか、まあ素人にしてはあの不良チンピラたちのケンカ三昧モノは冗漫だけど見ていられたから、あんな感じの若いチンピラたちの殴り合いのドラマでいいから、うちで撮ってみるか?」といきなり、本題だった。

なんだ、結局同じ物をやれというのかとちょっとゲンナリしたが、「はい、作りたいです」と口が先に喋っていた。「あの「ガキ天国」じゃない、「ガキ帝」か、あの朝鮮人の主人公の役をやった奴でもいいから。今度は、ああいう外人のややこしい話は入れなくていいから、不良のアクションだけの分かりやすい何かストーリーが書けるか?」とたたみ掛けてきた。

ああいう外人か。凄まじい差別感に満ちた言い方に絶句だった。「今、5月だろ、うちの9月中旬からの全国一斉封切りに間に合わせられるかな? 併映は、三浦友和主演の「熱き獣たちの眠り」っていう有名作家の勝目梓の原作モノだけど、あんたのはその裏というか、B面だな、とにかく、不良たちのアクションモノで、プロットを一週間で考えてきてよ。予算は3千万以内だ。それ以上は出ないが、どう?やれるか?無名俳優でいいから。大阪弁でも構わんよ。半分何言ってるか分からないけど」と、ハードボイルドな口調で注文された。

やってやるぞ。もう闘志しか湧かなかった。何が半分か分からんけどだ。お前らの作ってきた実録ヤクザモノだって、冗漫な作品だらけじゃないのか。何が「日本の首領」だ。眠たかったわ、寝てもうたわ、と心の声が噴き出しそうだった。東京大学卒の、社会を上からしか見られないような大人にナメめられたまま引き下がりはしないからな。

ボクは、早く席を立って仲間のいる所に戻りたかった。大人たちの社会を渡ってはきたけれど、こんなに寂しく孤独を感じさせたのも久しぶりだった。棘のささくれ立った、情緒など一番後回しにされるメジャー興行界。「1週間で仕上げます。はい頑張ります」と立ちかけると、また言われた。「あんたの友だちか?あの漫才の親助竜介は。彼らももう一回、2,3分でもいいから出せないのか。声かけてみてよ。若い客はあんな賑やかしでも見たいもんだよ」と。

たかが2、3分、顔出し出演させただけで興行は成り立つのか。そんなことは賑やかし以前に、ただのペテンだろうと思った。話を聞いたまま持って帰ると、弟分で相棒の脚本ライターとなっていた西岡(琢也)も、「生意気なこと言うとこやね。でも、3千万なんて安過ぎるんちゃうのか。また苦しい現場になるで」と言われた。

でも、もう乗った船だ。お前も一緒に乗り込んでくれ。乗ってくれないと、太平洋の大海原に出航できないんだから。どこか憧れてきた東映の、岩に砕ける波間に出る三角の社名マークが、にわかに無常に思えた。

81年6月から、9月の封切りに向け、我ら井筒組を乗せた小舟は中古エンジンを再起動させ、荒波をかき分けながら外海に出航した。あの頃、どんな身なりをして、毎日、何を食べていたのか、ほとんど思い出にない。スナップ写真も残っていない。恋人とも逢わず、映画をやり過ごす日々が待っていた。

確か、天王寺新世界の場末の小屋で、デ・二―ロの「レイジング・ブル」を見て、涙が出そうになったことだけを覚えている。何があろうとそれをやれ!
そう励まされたからだ。

井筒和幸(映画監督)KAZUYUKI IZUTSU

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


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