銀幕の中の人間は何をして日々の怨憎哀楽を生きるのか?

Vol.002
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸 氏

芸術にアマチュアもプロもない、誰も初めはアマチュアだ、いくらそう居直ってみても、ボクの第一号映画は撮影レンズの選択が間違っていたり、役者のセリフがアフレコの所為で口とズレていたりと見苦しいシロモノだった。でも、76年の春頃か、週刊誌やワイドショーの「3時に会いましょう」※1でも『関西の若者たちが自力で作った』と取り上げられて、いつの間にか東京の映画館(ピンク配給会社の常設小屋)でかかっていた。上映プリントフィルムは(長さが60分)は1本しかないので、新宿で一週間やったら次は上野とか、来月はどことか地方のピンク小屋にも順次公開された。

「これをロードショーというのよ、全国一斉ロードショーというのは間違いだからね」と配給会社の人が教えてくれるのだった。でも、ド新人の映画を全国配給網に乗せてもらうには先輩の口利きコネも必要で、ボクの映画著作権は(製作費は180万ほどだったが)120万円で買ってもらうことになり、小切手を手渡された日、同時にボクの用意していた現金10万円は配給会社の部長の手に納まった。映画界はこういう大人のビジネスなのだと得心した。よっし、なら次からは手数料無しで作って持って来てやるぞと思うと、武者震いしていた。

ちゃんと売れたか心配してくれていた大阪の吉本キネマの支配人の所にその旨を告げに帰るととても喜んでくれて、「また頑張ったらええやん、もっと勉強して色っぽいのをな」と励ましてくれた。

ミナミ千日前の小屋の株主招待券を貰ったので、見逃していたサム・ペキンパー監督の「ガルシアの首」を観た。気ままで孤独な酒場のピアノ弾きの男がメキシコギャングの首領の屋敷に45口径を忍ばせてオトシマエをつけに乗りこむ。映画は「正義」や「善悪」を語るのではなく、主人公の生きる態度こそ問われるものだと思った。

76年に入って、ボクは銀幕(スクリーン)の中の人間は何をして日々の怨憎哀楽を生きるのか?それを勉強しようと今まで以上に映画館に真剣に通った。「エクソシスト」や「突破口」、アル・パチーノの「ゴッドファーザーPARTⅡ」も3番館の名画座で見直して勉強した。「ジョーズ」は2度見ても結局は登場する誰の人生に肩入れしたらいいのか分からないうちに終わっていた。ニューシネマの波が過ぎた後の新種アトラクション映画が現れ出していた。こんな娯楽ではない別の、客に媚を売らない無愛想な映画(動物ではない人間の出る映画)を探そうと思った。

国鉄夜行バスで東京に行き来し、先輩のピンク現場を手伝いながら、デイ・フォー・ナイト(夜の場面のための昼間の撮影、太陽光を潰して撮るので“つぶし"とも言う)の撮り方も習んだが、町の小屋が何よりの文化人類学講座だ。

「悪魔の追跡」は米国南部のKKK※2を思わせるホラーで、職人S・ルメットの「狼たちの午後」はプアホワイトの銀行強盗の顛末。「カッコーの巣の上で」は精神病院の内幕。「グリニッジビレッジの青春」にはニューヨークの自由に憧れた。キューブリック監督の「バリーリンドン」なんていうリアリズムに徹した決闘場面もある英国時代劇にも圧倒された。「タクシー・ドライバ―」には度肝を抜かれ、これからの別の映画の予感がした。
振り返れば、日本映画の作り手を目指す者が日本映画をまったく見ていなかった。「男はつらいよ」や「トラック野郎」など大手の恒例番組はシネスコ※3画面に芸術感がしないし、予告編だけで十分だったが、大島渚の「愛のコリーダ」は前年に京都大映スタジオで保税扱いのフランス製映画として部外者立入り禁止撮影した本番ポルノなので、その噂さを確かめに観た。しかし、大島演出の濡れ場は予想外れでどうもグッとこない。なら、オレは次はどんな作風に挑めばいいのか、小屋を出るなり悩んでしまった。
(続く)

※1 TBS系列で、1973年7月2日から1992年10月2日まで、月曜日から金曜日の15時台に生放送されていたワイドショー。
※2 クー・クラックス・クランは、アメリカの秘密結社、白人至上主義団体である。
※3 ワイドスクリーン映画の一。特殊なアナモレンズを用いて横軸を圧縮して撮影した画像を、映写の際にまた横を拡大映写するもの。スクリーンの縦横の比率は1対2.35。シネマ‐スコープ。近年、使用が多い。

井筒和幸(映画監督)KAZUYUKI IZUTSU

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


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