遅刻が死ぬほど怖い

番長プロデューサーの世直しコラムVol.115
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

仕事をしていて何が怖いかって、一番怖いのは「遅刻」です。 社外での打ち合わせも、社内の会議でも、撮影でも、何でもかんでも 決められた時間に遅れるということが、僕にはものすごく恐怖なのです。 だから、大体のスケジュールに対して20分から30分くらい早く集合場所に ついていることが多いです。 時間ギリギリに登場することができないのです。間に合うか間に合わないか 移動中にやきもきしてる時のストレスも大変なものです。

なんでこうなのか?原因ははっきりしています。 高校の頃のバスケ部が精神的にも肉体的にもメチャクチャ厳しい部でした。

監督が外部の人で、当時の日大の1軍選手だった人で、軍隊みたいな指導。 当時は珍しかったパソコンで出力された練習メニューが 毎日違うメニューで張り出される。大体5分刻みになっているスケジュールが ドンドン消化されていくんですが、簡単なシュートをミスしたりすると ピっと笛が鳴り、練習の一番最初のメニューに戻る。一からやり直しになるのです。 「ノーミス」という練習方法でした。

それで練習が終わらなくなったりしたら、下級生のミスだと練習後に先輩からの リンチまがいのお仕置きが待っていました。連帯責任で。

毎日4階建ての校舎の階段を走って上り下りする10往復、みたいなメニューがあり 全員で隊列をなして階段を上り下りするんだけど 毎日タイム計測があり、前日の記録より1秒でも上回らないとやり直し。

練習の途中で気分が悪くなっても、勝手にやめたり抜けたりすると「ピっ」 と笛がなって一からやり直しになり、チームに迷惑がかかるので ガマンして、走りながらゲロを吐く。「きたねえなあ、てめえすっこんでろ」と監督に 怒鳴られて初めて抜けることができる。

ボールを触る練習にたどり着くまで大変な日々。 練習後に家に帰れないほど疲れている毎日。血糖値が足りなくて冷たくなっちゃう チームメイトもいました。腹減り病と言われていました。 思い出すだけで気持ち悪い、緊張しっぱなしの毎日でした。

正月元旦から練習があり、休みは年に1日、クリスマスイブの日だけ。 実業団に入ったのか?と思いました。辞める体力すら残っていなかった。

当時の佐賀県下の高校の、野球もラグビーも陸上も含めたすべての部活動の中で 一番厳しいといわれていたのが僕の所属していたバスケ部だったのです。

他の部の部員がだれた練習をしていると「バスケ部に行かすぞ」と脅されたみたいです。 実際連れてこられた野球部員が立てなくなって動かなくなったこともありました。 刑務所のような部活でした。 勉強も佐賀県で一番大変という学校だったので、当時の佐賀県で一番大変な高校生 だったということになります。

そんな学校と部だからぜんぜんバスケが面白くなかったのです。 「先生、バスケがしたくないです。」ですよ。 あ、違う、そんな部だから時間にもメチャクチャ厳しい部でした。

出発時間が来ると、遅れた人はどんな理由があろうと待ってくれません。 容赦なく置いていかれるのです。 遅れてきた奴は、当然試合にも練習にも参加させてもらえず、制服を着たまま ベンチの奥でずっと正座。存在は無視。終わってから着替えさせられてのかわいがり。

遠征に行くときでした。他県の高校と試合するためマイクロバスでの移動の途中、 パーキングエリアにトイレ休憩で立ち寄ったとき、「5分な」と言われてトイレに走り トイレが混んでいて、駐車場に戻ったら7分経っていて、バスはもうありませんでした。 財布も荷物もなく、どこだかわからない遠い高速道路の途中で、帰り方もわからず 途方に暮れ、帰った後に起きるだろう惨劇を想像して恐怖が襲ってきました。 そのまま帰らず、近隣の村の娘と結婚して一生暮らそうかと本気で思いました。

その時に植え付けられた時間に対する恐怖は30年経った今でも忘れられません。

そんなんだから、最初に入った会社に提出した履歴書に自分の長所を書く欄があって 「遅刻だけは絶対にしません」と書いていたのは、当時徹底してその自信があったんでしょう。 女の子との待ち合わせにも遅れませんし、遊びに行くときもほぼ遅れません。

仕事を始めてから、やっぱり早く集合場所に着く癖が抜けず、早朝の集合の場合は もう寝ることを諦めるときがあります。

そう言いながらも25年も仕事してると何回か遅れたことがあります。 寝坊です。徹夜の作業の後のロケとか、直前までお酒飲まされてて遅れたこともあります。 どんな理由があろうと、寝坊して起きたときのあの絶望感が凄いです。 心臓がバクバク鳴り始め、うろたえて何から手をつけていいかわからずオロオロします。 比較的うろたえたりしない性格なんですが、寝坊から遅刻への恐怖は本当にオロオロして しまうのです。心的外傷。 致命的な結果になった遅刻も3度ほどあります。遅刻したおかげでクビになった仕事のことは 一生忘れないでしょう。立ち直るのに時間がかかりました。

そんなこんなで、結構早く現地に着きます。初めて行く場所なんてもう大変。 一時間くらい前についてその場所の周りをロケハンしたりします。 でも恥ずかしいから、集合時間ギリまでどこかに隠れています。5分くらい前になると さも今ついたような顔して現れることにしています。「間に合ったー」とか言って。

そういう性分だから、実は他人の遅刻にも厳しいです。 お客さんの遅刻は管轄外なのですが、自分の部下が遅刻してきたら殺意を覚えます。 むかしは実際にボコボコにしていました。今はそれやると問題なのでできなくなりましたが ハラワタは煮えくり返っています。

先日、新人が遅く会社に現れて、半分心配しながら「どうした?調子悪いのか?」 と嫌味で聞いたら、「お腹が痛くて動けなかったんです」と言ったので 本気で心配して「じゃあ、いますぐ病院いってこい」と言うと「もう大丈夫です」と明るく 言いやがったので、自分をおさえるのに一苦労でした。やってしまえと心が言っていたからです。 そんな言い訳が通用すると思ってるのか?バカか?舐められたのか?と。

遅刻する制作部ほど危ないものはありません。寝坊で納品が遅れ、6千万円の 仕事を失った制作部の人を隣で見たこともある。こえー、と。 だから部下には絶対に遅刻はしないでほしい。制作部は最悪、仮払いの現金の入った封筒持ってそこに時間通り立っててくれたら最低限の仕事はこなしていることになるんです。

新入社員の面接でも、「ちょっと遅れました」と言う人は、普通に面接するけど シートにはバツ書いてそれ以上何も書き込みません。どんな理由でもダメです。 電車がなんとか、車がどうした、行く場所間違えただの。一時間前に来たらいいじゃないか。 僕の場合、いままでの遅刻はどんな理由でも許してもらえなかったからです。

どんなオーディションでも早く来て待っている人に縁を感じるものです。 自分はいつもそうありたいのです。バスケ部のせいです。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


続きを読む
TOP