かっこつけないでかっこよくいれるか?

番長プロデューサーの世直しコラムVol.109
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

気分の問題だと思う。あくまでも気分。 最近は「かっこつけるとかっこ悪い」という気分だと思う。

お洋服について言うと 今は極端にデザインされた服を来ている人はいない。 なぜかは知らないけど、ものすごく派手で高価そうな服もそんなに売っていない。

僕が20代始めの頃はバブル期真っ只中だったが、 DCブランドブームというのがあった。 デザイナーズ、キャラクターズブランドという意味だったと思う。 今思うとクソみたいな服が馬鹿みたいに高い値段で売られていて 信じられないけど、その服屋の店員は「ハウスマヌカン」とか呼ばれて偉かったのだ。ディスコでちやほやされて威張っていた。 そういうことを有り難がっていっぱい服を買った。

夏と冬のセールの時期には、出勤前の早朝からデパートが開店して 朝から長蛇の列だった。これも最近あまり見かけない。 男の子用のファッション雑誌もものすごい数が出版されていて それもいっぱい売れていた様な気がする。

その後、少し生活水準が上がったのかインポートブランドブームがやってきた。 つまり、パリでコレクションをやるようなブランドの服が売れるようになった。 本物志向?目が肥えたんでしょうね。エスカレートしていった。

あの頃は、日本人全体が、まだ、物を充分に持っていなかったのと、 やっとお洋服にお金をかけられるくらいの経済的余裕が出てきた頃 だったんだなあと思う。 海外旅行にいくと、円高もあって、みんな、めちゃくちゃお洋服や靴などの買い物をしていた。 今の中国人の爆買いと全く同じ現象だったんだと思う。 彼らを笑えないのだ。ほんの少し前まで自分達がそうだった。 本当はそういう時期が一番楽しいんじゃないかとも思うのだけど。

人間の中身を判断する様な基準がほとんどなく、 いい学校に行き、大きい会社に就職するという事以外になくて、 そういうのは聞かないとわからないから 身なりで人の事を判断する様な風潮が極端に強かった。 ブランドのスーツを着て、金とステンレスのコンビの腕時計をしてると無条件で尊敬されたりしていた。仕事の内容は関係なかった。

ブランドという意味は、本来「信用の継続」という意味だと思うのだけれど その外国人のなかで継続されている信用を、いきなり金持ちになった成金日本人が根こそぎ買っちゃう。みたいな時期があってフランス人に軽蔑されたりしていたのだ。集団ヒステリーに見えただろう。

あれは発展途上国の最後の段階の有様だったんだと思う。ほんの20年前の事だ。 脱皮寸前のセミ。何とも浅ましい時代だなあと、今になって思う。 僕も買ってた。コンビのロレックスが欲しかった。 人に一目置かれたかったら、服に金をかけてます。みたいな態度が必要で ブランドの名前が大きくプリントされたような物を着て喜んでいたのだ。

今は違う。

景気が悪くなった事もあるんだろうけど、貧乏で服が買えない訳じゃない。 多分、洗練されたんだと思う。 いろんな事を知って、その中から自分の好きなスタイルを選び取る。ということが洗練の意味だけど、それが進むと簡素で普通になっていくんだなあ。 奇抜な事はしなくても良くなる。 インターネットのおかげで都会も田舎も情報の格差が無くなったし、どこにいても欲しい物は手に入る。 ファッション雑誌なんかも買わなくなったし、たまに見かけると高齢者向け。 いい物を着てたら数はいらないのと、安くてシンプルな服を売る店が増えたのもある。 お洋服以外にお金を使うところが、あの時代よりたくさんあるし、 趣味も細分化した。ヒステリックに流行する何かなんか、無い。

国民的スターやヒット曲が出なくなった事や、派手な色の平べったい、排気音のうるさいスーパーカーに乗っている人が羨ましくなくなったのと気分が似ている。今は、普通にしていても命の危険にさらされる不安は尽きず、他に考えないといけないことが沢山ある。

周りで仕事のできる人たちの中に、趣味でお洋服が好きな人以外は お洒落に執着している人はあまりいない。

これも推測だけど、みんなで決めて何でも売れた時代の経営状況とは違い 独自の視点とアイディアと求心力がないと仕事ができる人にはなれない。 そういう人とそうじゃない人の差が開いていて、仕事のできる人は極端に忙しい。そして最前線にいる。 充実した仕事で忙しいと、健康でいる事や清潔にする事には意識があっても、お洒落に割く意識や興味や時間なんかあまり無いんじゃないかと思う。

そういう人がシンプルでかっこいいと、なんとなくみんなわかりはじめている。 外見だけかっこつけてる人は自分の仕事に自信の無い人に見えてしまうし 本質的な、自分の仕事や生き方で人気のある人は、自己満足を嫌うので、お洋服でほめられたいとは思わないのだろう。 お洒落であるほうがいいけどお洒落の定義が以前とは変わった事に気づく。

かっこつけないでかっこよくいられるか?

つまり、本当の金持ちならいざ知らず、人間としての魅力はごまかしが効かない。 服で他人との微差を強調してみせたところで底が浅い事がばれるだけだ。 人間の「華」とか「色気」は、靴や服には宿らないということだ。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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