仕事のできない部下を一人前にする方法

番長プロデューサーの世直しコラムVol.101
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

新入社員が現場に配属になるような時期ですが、最近の社員教育はとにかくやりにくい事が多くなってきました。

パワハラやモラハラ、ブラック企業。時代的にショック療法はやってはいけないこととなりました。もし法律上OKだったとしても、ショック療法一発で人の心が折れちゃうような弱虫の多い時代にもなりました。いずれにしろ仕事としてスポ根的な指導が通用しない(通用してもおかしいのですが)時代に、それでも部下がいないと仕事が成り立たないし続いて行かない場合、どうすればうまくいくようになるんでしょうか?

会社で管理職研修なんかがあるといつもその問題になって、誰も解決策を持っていない様な気がします。そりゃあそうです。人それぞれだし、職種にも寄るし、上司と部下の関係性にもよるので一般的な答えはありません。

そんな中で、自分はどうやって指導していこうかという方針は決めておかなきゃいけないし、上司としてのルールみたいなものは自分の中に持っておくべきですね。

前提としては、上司は部下がいなかったら仕事になりません。いなくても仕事になる場合もありますが、いつまでも自分で雑用をしなきゃいけないし、もっとレベルの高い事をする時間が減ってしまいます。だから部下は絶対必要。

部下は、極端な事をいうと、仕事さえできれば、変態でも不良でもなんでもいいです。友達が欲しい訳ではありませんから。いい奴とかさわやかな奴だったらそれに越した事はありませんが、仕事をするためだけに集まった集団なので、いい奴でも仕事が出来なければそんな人は必要ではありません。

だけど部下は、上司が取り組んでいるほど、その仕事の事を大事だとは思っていない場合があります。「なんでこんな事をしなきゃいけないのかなあ?何やらされてるんだろうなあ?」「ほんとにこんな事やってて俺のためになるのかなあ?」心の片隅でそう思っています。「仕事をがんばらなきゃ。」という思いと、「あほらしい、家に帰りたい。」という思いが交錯して、いつも悩んでいる。それが自分に名指しで仕事が来た事のない、人にやらされてるだけの、矢面に立った事がない「部下」という人種の本音だと思います。仕方のない事です。

仕事のできない部下に共通する一番悪いところは、仕事においての「大局」を観る事ができないところにあります。目先の与えられた事に一生懸命。言われた事だけをこなそうとする。それが何のためにどうなっていくのかを考えていないから、言われた事が何のためなのかが解らない。じっくり説明してあげればいいのですが、自分で考えて見つけてほしいと思って放っておくと、とんちんかんな事ばかりしているものです。だから、まず、その仕事の大局の部分をちゃんと説明してあげるのが必要です。大きい地図を書いて、最初はここから、最後にはここにたどり着きたいんだけど、今はここで、ここに最初の難関があって、乗り越えなきゃいけないんだ。そのためには俺はこれをやるから、お前、これやって。という調子です。多分。面倒くさいですね。

その過程で、部下が、考えが足りなくて、もしくはさぼって、甘くみていて、失敗をしてくれて大きな問題になったとします。もしくは、上司としてちゃんとみていて、問題になるのを未然に防いだとします。どちらにしてもものすごく腹が立ちます。怒りの感情がわいてきます。「この馬鹿が、失敗こきやがって。仕事舐めてんのか?小学校から入り直してこい。」と。

そういうときに、僕は昔はめちゃくちゃ怒っていました。大声で怒鳴りつけ、椅子を蹴り飛ばし、最悪は胸ぐらをつかんで一発入れたりしていました。 お金をもらってやっているプロの集団なので、ささいな失敗も許されない。完璧でなければならない。ハンバーガーに、何か混入してただけで世界の終わりの様な騒ぎ方をするくせに、てめえの仕事はそれ以下じゃねえか!俺は自分の評判を賭けてガチで仕事してるんだから怒るんだよ、当たり前だろう。そう思っていたのです。実際に部下のちょっとした不注意が大きくなって、数千万円の仕事を失った人をいっぱいみてきたからです。恐怖です。今でも心の奥では怒る事は正しいとは思っていますが、社会的には間違いだそうです。

「怒る」という感情を「叱る」という文脈に翻訳して伝えなければならなくなりました。部下が失敗して、いろんな感情がわき上がり、ついつい感情的になってしまいがちですが、その怒りの感情から、身もふたもない事実だけを抽出して叱る。その失敗は何がどんな風にいけなかったのか?どんな嫌な結果になるのか?どうすればリカバーできるのか? 自分と部下の個人的な感情や思い込みや、一般的な常識論や期待や予想など不確定な事を全て除いた、ただただ事実だけで部下と話をする。という行為が「叱る」という行為だと思うのです。感情を全て省いて話す。くどくどと説教をしてはいけないのです。

そんな話をするときに、気をつけなければいけない事があります。 それは、部下の人格と仕事のミスは違うという事をはっきりさせる事です。 「お前の人格を否定している訳ではない。やってしまった事を否定しているんだ。」 そこをはっきりさせる事です。 「お前、大体さあ、人間的にどっかおかしいんだよ。馬鹿だし。どういう育ち方しとんじゃい?親の顔が観たいよね。」という様な事は思っても駄目だし言ったらアウトです。 その仕事がうまくいく事がその部下の全てではないからです。部下の否定は自己否定です。

部下に解っておいてほしい事は「仕事」と「作業」は違うという事です。 僕は部下には「仕事」を求めます。 人に言われた事を黙々とやる事が「作業」です。重いものを運んでいるだけで、やり遂げてもだれも喜んでくれません。 「仕事」はそんなことちゃんとやるのは当たり前で、それに加えて、自分が持っている知識や情報をフル稼働して、臨機応変に当意即妙の機知を発揮して「それだったら、こういう事をしたらどうですか?」と発注主の想像や期待を超えた他の人がやらない様な提案ができて、それを受け入れられたら、喜んで意地でも完遂する。という様な事です。新人だって若いってだけでアドバンテージがあるんだから出来ない事はない。経験がないからと知らんぷりするのは手抜きです。 その仕事が終わったときに、「君がいてくれて本当に良かった。」と感謝されながらお別れしないと次の仕事はありません。それがない人は将来、独り立ちできないからです。

また、仕事は、やっている事に、学校で習う様な明確な「正解」は無いという事です。どんなに偉い人でも思い悩んでやっているし、有名なクリエイターが何かを作ったとしても、それが絶対正解であるとは言えないものです。当たり前ですが。ただただ学校的な感覚でどこかに「正解」があると仮定して、その答えが解らないから黙っておこうとか、間違った事を言って笑われたり「失敗」するのが嫌だとかって思って、何もアクションを起こさないのだけはやめてね。と言いたいのです。 「ここは戦場だ、倒れる時は前に倒れろ。」です。

そういう事が部下に伝えなければいけない最低限の事だと思うのです。 何かを気づいてくれるきっかけになったとしたら、そいつは一人前になれるでしょう。

実は、会社を変わったときに、自分のやり方も変えていかなければ時代に取り残されてしまうという思いから、部下との接し方の中から「怒る」ということを自分の選択肢から抜いてしまう事にしました。僕に怒られまくった歴代の部下達には本当に申し訳ない事ですが「怒る」のをやめてみたのです。 マンガのサラリーマン金太郎を読んでいたら、「自分を変えるということは、自分の中の常識を丸ごと捨ててしまう事だ。」と書いてあったので、それを信じて怒るという常識を丸ごと捨ててみたのです。 そしたら、あまりにもストレスがたまって500円玉大の円形脱毛症になりました。もう生えてしまったのでばらしますが、髪を伸ばしていたのはハゲを隠していたからです。生まれてはじめてハゲができました。事情を知る知り合いはボクシングジムに行け。といいます。そんなにストレスためてるなら今のお前は格闘技をやらせたら最強だと。 それでも昔みたいに怒ったりはしないでいます。そんな感じで部下が上司を追い込んでいる事もある訳です。それもパワハラの一種、部下自爆テロに近いと思うんですけど。どうでもいいこっちの都合ですけどね。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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