「金さんに惚れていた頃」

第85話
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

う~ん、弱ったな、特に何もないな。いま僕が呆然と立ち尽くしているのは京都市中京区の二条駅前交番のすぐそば。ここには1660年代から1868年(慶応3年)まで京都西町奉行所があったそうで、その跡地の石碑が置かれていますが、道行く人は誰一人振り返ることもありません(※写真①②)。さらにここから徒歩約5分の場所。鉄柱に囲まれ草が生い茂る中にわずかに見える木製の看板。これが京都東町奉行所跡だそうで、もはや見るに忍びない状態でした(※写真③④)。期待はしていなかった以上の物足りなさ。いや~、まるで2時間前のデジャヴのようなこの光景。

※写真①
※写真②
※写真③
※写真④

う~ん、弱ったな、特に何もないな。いま僕が呆然と立ち尽くしているのは大阪市中央区大手町の大阪国税局のすぐ傍ら。ここには1619年(元和5年)から1868年(慶応3年)まで大坂(※当時は阪ではなく坂)東町奉行所があったそうで、その跡地の石碑が歩道の妨げにならないように立っていますが、横を歩く人は誰も気に留めません(※写真⑤⑥)。さらにここから徒歩約15分の場所。マイドームおおさか(もしかするとダジャレかな?)というコンベンションセンターの前の植え込みに横並びで5つの石碑(2つは石碑の説明板)があってその一番手前が大阪西町奉行所跡でした(※写真⑦⑧)。しかし僕はなぜここにいるのだろうか。次に向かうのは、さっきここへの道のりをグーグルマップで調べたときになぜかもう一か所表示される西町奉行所跡。現地点から徒歩と電車乗り継ぎで約2時間。どうやら東町と西町の奉行所は大坂と京都の二箇所にあったようです。もっとちゃんと調べてくればよかったのですが、これも行き当たりばったりの醍醐味。というわけで冒頭のデジャヴ風景になったわけです。

※写真⑤
※写真⑥
※写真⑦
※写真⑧

そもそもなぜ関西に来たのか。それはこの前日のことでした。久々の会社帰り。乗継駅の有楽町でマルイ前の広場を横切っていると修学旅行生が記念写真を撮っていました。彼らが去るのを待ち近付くとそこにあるのは南町奉行所跡の石碑です。ずいぶん立派な佇まい(※写真⑨)。へ~、こんな都会の真ん中にあったのですね。コロナ前は毎日通勤で横を通っていたはずなのに全く気が付きませんでした。南町奉行所ということは名奉行大岡越前か。ということは時代劇の主役は加藤剛で主題曲はインストゥルメンタルだけのシュールなあの曲(メロディを文字化するのは限界があるけど、ほらあのメロディです♪)。1970年からTBS系列で放送された時代劇テレビドラマで今でもときどき再放送されています(※現在も千葉テレビで再放送中)。おおっ~!ということは北町奉行所もこの近所なのか?とグーグルマップで調べるとありました。隣の東京駅の構内近く。帰宅なんかしている場合ではありません。すぐさま向かいましたがこれがなかなか見つかりません。南町奉行所跡とは対照的に北町奉行所跡は丸の内のビルの裏手の人目のつかない所にありました(※写真⑩)。

※写真⑨
※写真⑩

1970年代、小学生だった僕は南町奉行の「大岡越前」よりも北町奉行遠山景元の活躍を描いたテレビ朝日系の時代劇ドラマ「遠山の金さん」が圧倒的に好きでした。金さん役は松方弘樹、松平健、高橋英樹等多くの名優が務めましたが僕の一押しは中村梅之助。7歳の僕には中村梅之助の背中の桜吹雪の刺青は本物にしか見えませんでした。「おうおう!てめぇらの悪事は背中に咲いたこの桜吹雪がとくとお見通しだい!」という名台詞に痺れまくりました。学校の階段では遠山の金さんごっこが流行り僕もときどき参加しては担任の先生からこっぴどく叱られました。でもな~、主題歌の歌詞にさえ「やくざ」という文言が出てくるドラマを再放送してくれるテレビ局は令和のコンプライアンス社会では皆無だろうな。地上波はムリでもどこかやらないかなぁ。とか思いながら、南北があるのなら東西もあるだろうとネットで簡単に検索しただけで深く調べずに翌朝飛行機に飛び乗った結果、途方に暮れる冒頭に繫がるのでした。結局このあと歩き疲れて帰るのが嫌になり、京都の出町柳の商店街にある映画館(※写真⑪)に偶然入って「夜明けの夫婦(山内ケンジ監督)」という映画を観たらこれがとても良くて京都に来た甲斐がありました。という「人生成り行き」みたいな一日でした。

※写真⑪

ところでデジャヴといえば90年代、神宮前にあったバーにときどき通っていてその店の名前が「デジャヴ」でした。お通しに必ず落花生が出るのですがその殻は床に直接捨てるのがルール。今回妙に懐かしくなってネットで調べまくったのですが出てきません。あれは「幻」だったのかな、という話はまたの機会に。

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プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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