「映画は孤独を慰めてくれるのではなくて、孤独だと気づかせてくれる」と、 メモにある。

Vol.50
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

享楽的なモノ、つまり、正義の味方が登場して、問題を解決する、早い話が、勧善懲悪なモノ。そういうものは映画館の前に立った時に直感で分かった。
でも、映画は日々の喜怒哀楽の気晴らし。まあいいかと、結局、映画館の銀幕の前で沈みこんではため息をつき、なんとか退屈しのぎをするのだった。

1971年の3月に高校を卒業するや、朝起きたら、何処にも行く所がないその日暮らしが待っていた。友人たちは大学に行き始めたし、映画について会って喋る時間も無くなると、尚更、ボクは、孤独で退屈だった。
人生は孤独だ、人は一人で生きて一人で死んでいくんだ、と諭されるような映画は一番気が安らぐ。慰めてくれるのではなく、孤独だと気づかせてくれるからだ。

アメリカンニューシネマを代表する俳優、ジャック・ニコルソンが、カリフォルニアの石油採掘場で働く、その日暮らしの孤独な流れ者を演じた『ファイブ・イージー・ピーセス』(71年)は、気だるいカントリーポップスの唄と共に始まる、まさにニューシネマの見本だ。文明の実験国家アメリカを映していて、そこで生きる価値を問うもので、日本で生きあぐねる18歳の少年こそ見るべき映画だった。ジャック扮するその男は、ウェイトレスと同棲しているものの未来までは考えていない。仕事も適当なら、女とも適当、自堕落な毎日だ。もう何年も故郷に帰っていない。その実家は音楽一家で、父が脳卒中で倒れたと知り、帰郷することになる。女も妊娠してると男に告げて一緒について来る。そして、実家で家族と対面し、男は「オレもピアノは弾けるのに、いったい今まで何をしてきたんだ?」と自分を追い詰める。ボクは楽器も弾けないし、恋人もいないけれど、この男はまるで自分じゃないかと思うと途端に、胸がつまって苦しかった。
実家への帰路、ヒッピー女の二人組を拾ってあげる。彼女らの目的はアラスカだ。アメリカはゴミだらけで汚れてるから、人のいない場所に行くのよ、他の人には教えないで、と言うので笑った。そして、男も、ここではない何処か、生きる場所を見つけに、一人、トラックをヒッチハイクする場面で映画は閉じられる。18歳の無職者も今いる場所でない何処かに行こうと思った。自分を売ったり買われたりする場所じゃなく、自分の思いのままの世界に。
男が「あなたには愛がないよ。愛を乞う資格もないわ」と別の女から詰られる場面も胸を突かれた。ボクも親の愛すら忘れていたからだ。

そして、映画は、ここまで自分が問われるものかと思った。

『ライアンの娘』(71年)というイギリスの鬼才、デビッド・リーン監督作も忘れられない。その監督の『戦場にかける橋』(57年)という戦争大作を、小学生時代に講堂で見せられて以来、『アラビアのロレンス』(63年)は見逃していたし、久しぶりに打ちのめされる予感もして、勇んで見に行った。案の定、心を奪われて、こんな映画はボクには到底作れないだろうし、もう映画作家になる夢など諦めようと思ったくらい、圧倒される3時間だった。

『ライアンの娘』は恋の物語だが、そこには情動のままに生きる人たちの闘いがあった。邦画では見たことがなかった。アイルランドが大英帝国の植民地だった頃の、海辺の寒村が舞台。そこに赴任してきた教師、この平凡で精彩のない役をロバート・ミッチャムが飄々と演じるのも意外だったが、彼が酒場の主人ライアンの可愛い一人娘を娶るものの、駐留するイギリス軍の若い将校とその娘は情欲のままに不倫をする、というメロドラマだ。活劇かハードボイルドばかり観ていたボクには衝撃で、一週間経っても、心がざわついて仕方なかった。アイルランド義勇軍が独立闘争を始めた時代が背景だから、余計にざわついたんだろう。自由奔放に生きる娘の役は、サラ・マイルズ。一遍に、彼女に恋した気分だった。そして、アイルランド人の気骨で孤高な気風と、写された荒涼で逞しい風土といつか出会ってみたいと思った。

時を空けずに観た、孤独なアメリカ青年の疾走劇、『バニシング・ポイント』(71年)もショッキングなニューシネマだ。ベトナム戦から帰還した元軍人の陸送運転手が、警察の包囲網を切り抜け、ダッジチャレンジャーをひたすら走らせるだけの話だ。ボクも、しらけたこの現実から何処か別世界に脱出したかった。深夜に田舎の国道をあてどなく車を走らせてると、主人公のように過去ばかりが現れては消えた。主人公は最後にブルドーザーのバリケードに笑みさえ浮かべて、突っ込むことを選ぶ。まだ戦場で誰とも闘ったことがないボクは、荒野を走ることで精一杯だったが。

この年、アメリカのフロリダ州に、誰もが幼子になれるウォルト・ディズニー・ワールドが開園した。邦画界では大映は倒産、日活は経営不振でロマンポルノに路線変更したが、第一弾の『団地妻 昼下りの情事』(71年)は見る気がなかった。主演の白川和子嬢は白黒のピンク映画でとっくにお目にかかっていたからだ。ボクの向かう所はまだ見えなかった。

(続く)

≪登場した作品一覧≫

『ファイブ・イージー・ピーセス』(71年)
監督:ボブ・ラフェルソン
脚本:エイドリアン・ジョイス
原作:ボブ・ラフェルソン、エイドリアン・ジョイス
出演:ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック、ビリー・グリーン・ブッシュ 他

『ライアンの娘』(71年)
監督:デビッド・リーン
脚本:ロバート・ボルト
製作:アンソニー・ハブロック=アラン
出演:ロバート・ミッチャム、トレバー・ハワード、サラ・マイルズ 他

『戦場にかける橋』(57年)
監督:デビッド・リーン
製作:サム・スピーゲル
原作:ピエール・ブール
出演:アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪洲 他

『アラビアのロレンス』(63年)
監督:デビッド・リーン
製作:サム・スピーゲル
原作:T・E・ロレンス
出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アレック・ギネス 他

『バニシング・ポイント』(71年)
監督:リチャード・C・サラフィアン
脚色:ギレルモ・ケイン
原作:マルコム・ハート
出演:バリー・ニューマン、クリーボン・リトル、ディーン・ジャガー 他

『団地妻 昼下りの情事』
監督:西村昭五郎
脚本:西田一夫
企画:奥村幸士
出演:白川和子、浜口竜哉、南条マキ 他

出典:映画.comより引用

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プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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