「思春期からの数多の映画が、ボクの血肉や骨、そして、心まで作ってきたように思う。そうとしか考えられないのだ。」

Vol.46
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

少年の頃は、映画館に入る度に祈ったものだ。今日も頼もしく、おかしな奴や、胸に迫る場面に出会えますように、と。

アメリカ映画の『バルジ大作戦』(65年)では真冬の戦場に放り出され、邦画の『陸軍残虐物語』(63年)では日本兵どもの悪行に思い知らされ、映画の虜になって以来、ボクが、今までに映画館で出会った映画たちは、メモに残してきたわけじゃないし記憶の限りだが、何千何百本だろう。そして、そのどれもこれもは、日々を生き抜くための酸素で、水であり、糖や塩分であり、心の「糧」であったのも確かだ。中学生になると、母からもらったり、母の財布からくすねた小遣い銭が底をつくまで、休日は勿論、放課後でも、映画館の闇と光の中に浸りに行った。そして、映画館を出て、辺りが夜の闇になっていても、ボクの成長途中の小さな心はいつも胸一杯で、不意をつかれた戸惑いのまま、外の夜の闇が物語世界の続きなのか、どこまでが現実か噓かも分からないままだった。家に戻っても心の昂ぶりや動揺は消えず、風呂に入っても勉強机の前でも寝床についても、幻影が立ち現れるのだった。

奈良の興福寺の近くの裏町には、なかなか味のある洋画館がいくつもあって、中学高校当時に一番足繫く通ったのは、筋向いにあるストリップ劇場が映画を観る前から気分をざわつかせる「中央劇場」という小屋(映画館)だった。二階席もある優しいその闇の中は少年も大人も人を選ばず受け入れてくれて、スクリーンも大きかった。『続・荒野の用心棒』(66年)のタイトルで封切られたフランコ・ネロ主演のマカロニ・ウエスタン、つまり、イタリア製西部劇もここで観た。原題は『ジャンゴ』で。この前年に、ハリウッドのテレビ俳優だったクリント・イーストウッドがイタリアで主演した『荒野の用心棒』を見ていたが、主演がフランコ・ネロに替わっているし、観るなり、何の続きでもない別物かと判って、それがまた愉しかった。原題が「ジャンゴ」と出て、画面も荒々しく曇り空ばかりの暗いシーンで、台詞もイタリア語だ。メキシコ国境でどうしたこうしたと言い合うのが奇妙だった。一時、イタリア製作でスペインロケの疑似アメリカ西部劇をボクらはスクリーンで堪能した最後の世代だろう。「ジャンゴ」はとりわけ、残酷さ一色だった。棺桶を引きずって現れる流れ者のジャンゴ、娼婦マリア、汚れた神父、野蛮なメキシコ軍、独立派の将軍一味が金塊欲しさに殺し合う。ジャンゴは棺桶に隠していたガトリング機関銃で乱射するが、挙句、捕まって両手を潰される。が、引き金が引けない手のままでジャンゴは復讐に出るという、唯々、惨たらしい話だった。女の客は誰一人もいなかった。ボクは仏教も親鸞も知らなかったが、この世の諸行無常や、色即是空、業欲の浅ましさをここで教わった。フランコ・ネロの碧眼が夜ごと夢に現れたように思う。

ハンサムな男優ジュリア―ノ・ジェンマ主演の『荒野の1ドル銀貨』(66年)や『星空の用心棒』(68年)などは残酷さがなく、女子にも人気があったマカロニアイドル西部劇だった。『若大将』シリーズの加山雄三ファンだった中学の親友が、ジェンマの方がカッコいいと言うので新作が来る度につき合わされた。ジェンマは眼差しが優しく、欲張りなイタリア人らしくない俳優だった。

実は、今から10年ほど前、テレビ番組でローマに行き、F・フェリーニ監督のネオリアリズムの秀作、『道』(57年)のロケ地を巡る旅の途中、ジェンマさんの自宅にも訪問し、映画談義をさせてもらったことがある。80年代には、日本の企業CMにも出演した人気スターなのに、まったく気取らない人だった。「ドラマもやるけど、陶芸もやるんだよ」と笑顔で答えて、日本から持参した『1ドル銀貨』のDVDにサインをくれて、「ジャンゴじゃないよ。私はジェンマです」と笑わせた。その3年後か、地元で自動車事故で急逝した時、ボクは、ローマの方を向いて手を合わせるしかなかった。

中学生のボクら世代に、マカロニ西部劇の倫理、予想しない喜怒哀楽、得体の知れない感動というやつを、教えてくれた俳優の一人だった。

ジャンゴ役のフランコ・ネロは今も現役だが、彼がユーゴスラビアのパルチザン戦士を演じた『ネレトバの戦い』(69年)は3時間もある戦争巨篇で、高校2年の時、授業をサボって大阪まで観に行った。人を出し抜き蹴落とすだけの大学受験体制に組み敷かれまいと、古い価値観に一人抗っていた頃だ。だからこそ、観たかった。1943年の第二次世界大戦下、僅か3万のユーゴスラビア人民解放軍がドイツとイタリアとクロアチアの枢軸軍による掃討作戦に立ち向かった。ネロの勇猛戦士役は役処だ。勇猛で頼もしい、やっぱり、ジャンゴだった。

思い出したが、この戦争巨編の後、疲れ知らずの高校生は噂になっていた『ジョンとメリー』(69年)もハシゴをして観ている。ニューヨークが舞台で若い男女の一夜の恋愛話だ。なんと、主演は『卒業』で名を揚げた新鋭32歳ダスティン・ホフマンと・・・、

いや、この続きはまた次回で。

(続く)

 

≪登場した作品一覧≫

『バルジ大作戦』(66年)
監督:ケン・アナキン
脚色:フィリップ・ヨーダン、ミルトン・スパーリング、ジョン・メルソン
出演:ヘンリー・フォンダ 他

『陸軍残虐物語』(63年)
監督:佐藤純彌
脚本:棚田吾郎
出演:三國連太郎 他

『続・荒野の用心棒』(66年)
監督・原案・脚本:セルジオ・コルブッチ
出演:フランコ・ネロ 他

『荒野の用心棒』(65年)
監督:セルジオ・レオーネ
脚色:セルジオ・レオーネ、ビクトル・A・カテナ、ジェイム・コマス
出演:クリント・イーストウッド 他

『荒野の1ドル銀貨』(66年)
監督:カルビン・J・パジェット
脚本:ジョルジオ・ステガーニ
撮影:トニー・ドライ
出演:ジュリアーノ・ジェンマ、アイダ・ガリ、ピエール・クレソワ 他

『星空の用心棒』(68年)
監督:フロレスタノ・バンチーニ
脚色:フェルナンド・ディ・レオ、アウグスト・カミニート
原案:マナヘム・ベラスコ
出演:ジュリアーノ・ジェンマ、フランシスコ・ラバル、コンラード・サルマルティン 他

『道』(57年)
監督:フェデリコ・フェリーニ
製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス
原案:フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネッリ
出演:ジュリエッタ・マシーナ、アンソニー・クイン、リチャード・ベースハート 他

『ネレトバの戦い』(69年)
監督:ベリコ・ブライーチ
脚本:ウーゴ・ピロ、ラトコ・ジュロヴィッチ、ステバン・ブライッチ、ベリコ・ブライーチ
出演:バタ・ジボイノビッチ、ロイゼ・ローズマン、シルバ・コシナ 他

『ジョンとメリー』(69年)
監督:ピーター・イエーツ
脚本:ジョン・モーティマー
原作:マービン・ジョーンズ
出演:ダスティン・ホフマン、ミア・ファロー、マイケル・トーラン 他

 

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年を記載。

●『無頼』
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プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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