自己中心的な犯罪

番長プロデューサーの世直しコラムVol.18
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

真面目に腹が立つ事件が起きた。 日曜日の秋葉原の歩行者天国にトラックでつっこみ、その後サバイバルナイフで人を刺して回り、犠牲者が7人でた。理由は「友だちが少なく女にもてない自分に価値がないから、みんな死ね」だと。

なんだそりゃあ?

そもそも人生はうまく行かないことの連続だ。理不尽なことだらけ。放っておけばほとんどのことはダメになるから目標を定めて、準備をして、流れを読んで勝負をかける。そこを必死にがんばらなければ、良いことなんか何ひとつ起きないだろう。

子供に、親や教師が言う。「君たちには無限の可能性があるよ」。嘘だ。無責任にそんなこと言うから、バカな子供が勘違いする。根拠のない自信や無意味な万能感を漠然と持って、事実を受け入れようとしないバカが出現しまくっている。 根拠のない自信は「妄想」って言うんだよ。「やればできる子」も、やらなきゃただのできない子。どうしていいかわからずに、いじけて、次は自己否定か?

子供たちには、ちゃんと本当のことを伝えなければならない。世の中は、君の人生は、基本的には辛いことの方が多いだろう。そんな中で一生懸命、血がにじむ くらいがんばって、人生を楽しくしたいと願って生きる人にだけ良いことは起きる。こんなにがんばったのにと思っても失敗したり挫折したりする。でも、それ は他の人が君よりもっとがんばっていたからだ。だから、何度転んでも平気な顔して立ち上がる奴だけが幸せになるんだよ。やることはやったという、根拠に裏 付けられた自信を持てた人しか面白く生きられないのである。

この事件だけではない。自己中犯罪がめちゃくちゃ増えている。年齢、性別に関係なく自己中心的な思いこみで、欲しい物が手に入らないとめちゃくちゃな手段で手に入れようとするし、何も見えなくなって暴走する。すぐ死のうとする。 自分だけ死んでくれりゃあまだいいが、こうやって人も巻き込んで死のうとするのはなぜだ?引きこもりやストーカーも平たく言えばただの自己中である。

ここにも想像力不足がある。そんなことをしたら、その後どんなことになるか?やられた側はどういう気持ちか?自分以外の人はどんな目に遭うのか? まず、殴られたら痛い。頭を殴られたら、鼻の奥がつーんとなって気が遠くなる。ちょっと殴られただけで、めちゃめちゃ嫌な気分になる。車にはねられたら もっと痛い。刺されたら、気が動転するくらい痛い。まったく関係のない人をそういう目に遭わせるのがどういうことなのか想像はついていただろうか?ゲーム の戦いのような気持ちでいたのではないだろうか?悪いことをしても殴られないで育ったから、想像がつかないのか?

罪を犯したら罰を受けるはずである。 ここ数年、いろんな凶悪事件が起きるようになったが、実は、その犯人たちが結果的にどういう罰を受けたかということははっきりしていない。江戸時代のよう に市中引き回し、磔獄門、お家お取りつぶし、みたいにはっきりと夜の中にさらされて、「あんなことしたら、こんな惨めな仕打ちをうけるんだよ」「やだや だ、あんな姿になりたかないねえ」みたいなことには、なかなかならない。 人権問題、精神鑑定、死刑廃止論、悪徳弁護士・・・等々。裁判をくりかえして、なんとなくうやむやになっていくようにも見える。だから、ひどいことをした らひどい目に遭う。その想像がつかないのである。実際に、これだけのことをしてもあんまりひどい目には遭わないんじゃないかとさえ思えてくる。

個としての自分の存在を確立させないまま自己中心的になっている。 簡単に言うと、わがままなガキのような大人が多いということだ。オフィシャルな場所では引っ込み思案なのに、自分の家では自己中で、うまくいかないことは 努力不足を棚に上げ、他人のせい、世の中のせいにしてすぐ怒り、暴れ、すぐいじけてだだをこねて、しまいにゃ人を巻き込んで死のうとする。最悪の人間だ が、それが今の日本のテイストでもある。甘えの図式。

早急にやらなければいけないことは、わがままなガキのようなことをするとひどい姿で地獄に落とされて、もう戻ってこれないような制度を作ることじゃないだろうか。 更生なんかさせる必要ない。

結局、被害者が泣き寝入っているような現状はなんとかしなきゃいけない。やられた側からすると、そいつが精神を病んでいようがなんだろうが、死んじゃったお姉ちゃんは帰ってこないのだ。

一発退場レッドカード。 そういうシステムだと、みんなが世間とはルールのある試合だということを正しく認識しようとするだろうし、やっていいことと悪いことの区別についても真面目に考えるようになるだろう。 緊張感のあるいい世の中になっていくような気がするんだけど。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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