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「こんなのは、ミゾ(溝口)さんだけちゃうよ、誰でもリアリズム。昔から京都のシャシン(映画)はリアリズム」と言われた。日本のリアリズムは京都だったんだと思い知らされた。

Vol.42
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

もう当分、海面は見たくなかった。1986年の1月終わり、「犬死にせしもの」(なんと古風でいいタイトルだろ…)のロケは、年を越してしまい、海上の撮影はラストシークエンスだけ残していた。
主人公の漁船と、追ってくる敵の船団との海上合戦は、吹きっさらしの海の大仕事だった。船底の下に鉄パイプを這わし、そこに水中用の火薬を仕掛けて爆発させたり。一つしかない年代物の機銃(高価な小道具)を構えた敵の手下が、撃たれて海に落ちるショットでは、機銃を船床に捨て残す段取りだったのに、本番で熱が入って銃を手に握ったままドボンと飛び込んでしまい、機銃は海底に消えてしまったりと。OKなのかNGなのか言いようのない撮影が続いたのだった。 

京都の大映スタジオに戻ってきたが、大映通りを歩いていても、まだ、船の上で揺れているような感覚が身体に残っていて、しばらくふわふわ気分だった。でも、スタジオの古屋敷のセット撮影は海の作業じゃないし、楽なものだった。さすがに京都大映。古屋敷の前栽(中庭)に置かれていた石灯籠も発泡スチロール製ではなくて本モノの石材で、押してみても動かなかった。横から、録音部の助手が「こんな灯篭、この大映だけですわ。付けてある苔もホンモノですよ」と得意げに教えてくれた。大先輩の溝口健二リアリズムがこんなところに残っていたかと思ったが、古株の照明技師さんに「こんなのは、ミゾ(溝口)さんだけちゃうよ、誰でもリアリズム。昔から京都のシャシン(映画)はリアリズム。芝居もそうやろ」と言われた。そうか、日本のリアリズムは京都だったんだと思い知らされた。照明さんが「クロサワ(黒澤明)でも、『羅生門』で京都に撮りに来て、だいぶ勉強したんちゃうか、わしら、まだ助手やったけど、よお覚えてるよ。あのクロサワさん、チーフの加藤泰(後に『緋牡丹博徒』などの名監督)とケンカになって、加藤さんら演出部も皆、怒ってもうてストライキして逃げたんやで。もちろん、段取りと芝居のことや、ヌケ(画面の感じ、ライティングなど)のことやろうな、人のシャシンでも加藤チーフはうるさかったみたいよ。東京の活動屋のやり方なんか合わんからな」とちょっと笑いながら、新参者のボクに当てこするように、戦後間もなくの活気あったスタジオの光景を、昨日のように喋った。

確かに、スタジオの庭の石灯籠やホンモノの屋根瓦に感動はしたけれど、ボクの撮影のやり方、芝居の見方をそんなに急に大映リアリズムに変えられるわけがなく、ボクなりの勝手気ままさで可笑しな芝居を作っていくだけだった。たまには、「よっし、だったら溝口巨匠の真似でもやってみるか」とスタッフらに宣言し、役者も鼓舞させたこともあった。蟹江敬三さん扮する悪党が仲間を裏切って、拳銃で相手の胸と頭を撃ち抜き、部屋から部屋に半狂乱で動き回る場面を、ワンシーンワンカットというやつで挑戦してみた。でも、なんとも間の抜けた芝居になり、銃の弾着のタイミングとキャメラの狙う方向が合わず、血のりが飛んで付いた襖や衣装の背広を何度も取り替えたりして、緊張の5分間の長廻しはなかなか完走できなかった。気づくとフィルムが4千フィート以上も回って、制作部から打ち止めを喰らった。仕方なく、10テイクほどの中から一番マシなNGカットを選んで編集に組み込んだわけだが…。

仕上げは京都ではなく、東京だった。京都の役者らとロクにお別れ会もできず、急いで作業させられた。ダビングを予定通りに終えても、予算はもう1億ほどオーバーしてるよとプロデューサーに言われた。「そうですか、すんませんな」と言いながら、知ったことかとも思った。監督だけの所為じゃないだろ、スタッフキャスト全員、太陽や雨や嵐や波、すべてだろう。芸術なんてそんなもんだろうと。

4月の後半、ゴールデンウィークに向けて、「犬死にせしもの」は、岡本喜八監督の「ジャズ大名」と2本立てで松竹系で封切られた。が、ボクはもう何百回と見た自作に飽いて、気晴らしに他人の映画、「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」を見た。アメリカの石油開発会社に勤めるエリートサラリーマンが、スコットランドの海辺の村に用地買収のために派遣されるが、宿屋の主人や村人と仲良くなるうちに田舎に馴染んでしまう。一人の老人がいくら金を積まれようと土地を手放す気はない。そこへ本社の社長(大スター、バート・ランカスター)が現れて、こんないい自然の場所はこのままにしとこうと主人公を諭す、イギリスらしいシャレた話だった。
荒っぽくウソっぽい拳銃のドンパチ映画より、しみじみさせる大人の映画を撮りたいものだとつくづく思った。「犬死にせしもの」はヒットしなかった。頑張ってたのに犬死にだったな、と仲間に言われた。

(続く)

 

●『無頼』
東北地方では、岩手・フォーラム盛岡の公開の他、青森・八戸、山形、福島で、そのうち公開予定です。

『無頼』予告編動画

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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