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ストーリーや銃器アクション、海上でのキャメラワークにこだわったニューシネマを撮りたかった。ボクには「映画こそ命」だった。瀬戸内の海で朝、昼、夜なく、キャメラを回した。

Vol.41
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

勝新太郎さんの奥方の中村玉緒さんも、海賊の真田広之の母親役で参加してくれた『犬死にせしもの』。海の上での撮影は困難を極め、船酔いしている暇さえなかった。長さ10メートルもない小ぶりの漁船が舞台なので、ワンカットごとにキャメラをセッティングする間、真田広之や佐藤浩市や堀礼文(故人)や安田成美は乗船したまま、船の片隅で体を丸めて休んでいた。何ショットか、船の中にドリー用レールも敷いてキャメラを乗せ、それを押す役目の助監督一人と撮影部3人、そして、録音部と、「アクション!」と声をかけるボクだけのどうにも身の交わしようのない、辺り一面、海しかない世界。定員オーバーで、今にも転覆してしまいそうな現場が続いた。
前方を横切った貨物船が起こした大波で、真田たち海賊が攫ってきたヒロインの安田成美がよろついて転んで、突いた手の指の関節を外してしまって泣きそうになった時、真田君が気転を利かせ、彼女の曲がった指をきゅっと伸ばして元に戻してあげたが、今度は、撮影助手がドボンと海に落ち、ビックリ。日中の撮影は15カットが関の山だった。海は群青色で、安田成美は19歳だったか。その可憐な笑顔が、乗組員たちの気分を和らげてくれた。

船上から10キロメートルか先に、陸の高いビル群が画面に写ってしまうと、船の向きを変えて、荒波と強風が来ないその隙を待って、リテイクした。
CGなんて単語も知らない時代だ。皆、へこたれずよく戦っていた。

日が暮れる頃、朝に出港したベース基地に戻り、吹き晒しの北風の中で夕飯の弁当を広げてると、制作部が作った豚汁が届いて嬉しかった。
夜は、また沖の集合ポイントに、各パートが船を出した。舞台用の船、制作部の待機船、照明のキーライト船、抑えライト船、小道具美術船、衣装とメイキャップ船、録音部船、他にも何隻か出て大撮影が待っていた。

主人公の小型船が、出食わした大型貨物船に横付けして、海賊らしくピストルと日本刀と戦地から持ち帰った手榴弾を持ち、乗り移るシーンだ。波のうねりが高く、なかなか一気には横付けられず、器用な真田君の操縦も手こずっていた。でも、彼は画面のテンポをよく心得ていて、なんとかスマートに見えるように頑張ってくれた。今の20代の若い役者で、あれだけ状況丸見えのフルショットで、吹き替えなしアクションが演じられる者は恐らくいないだろう。彼は身軽だった。
主人公たちが貨物船に移るや、先に乗りこんでいた海賊たちと鉢合わせになり、たちまちガンファイトが始まって・・・と。夜食に牛丼を制作船が運んできて、撮っているといつの間にか午前3時頃だった。チーフ助監督が「この貨物船は今日限りで返却ですので、すぐにキャメラを下(海上)に降ろして、手榴弾炸裂寸前のデッキから真田さんが海に飛んで逃げるシーン、準備しまーす」と声を上げた。

真冬の暗い海に飛び込んだ彼が、海面で構えた水中キャメラの前に、海中から顔を現わす、これまた吹き替えなしのアクションショットだ。大急ぎで準備をして、そして、夜が明ける前にリハーサルなしの一発本番だった。夜の海のスタッフ船から拍手が聞こえた。彼は難題をこなすプロフェッショナルで、ボクは無理なコンテを考えてばかりいるアマチュアだった。そのショットが編集されてスクリーンに映ったら、果たして、的確で正しいポジションの画面と言えるのか解からなかったからだ。後に、ラッシュ試写で見ると、少しロングショット過ぎて人物の食いつきが悪かった。まだ、単玉レンズの拡がりと距離感をファインダーで掴む直感力がなくて、ロケ現場にビデオモニター(ビジコン)もなかった時代だ。真田君の熱演が報われなかった。張りつめた現場はクリエイティブで楽しかったのだけど。

映画現場は火事場のようだが、光学と物理と即興演技(二度とできない演じ方)でショットは出来上がる。ボクは、海の上で、揺れ続ける脳に逆らいながら、そのショットがどう正しいのか間違いなのか、考えてばかりいた。太陽が空を通過し、満点の星空が現れて、また朝日が昇ってきても、物語の夢の中で次のコンテ、その次の画像を思いつくまま探っていた。
徹夜ロケでは、酒を飲んだ。制作部に「コメ水、コップで持ってきて」と小声で伝えた。ボクのガソリンだった。
あちこちの小島にも上陸して、終戦直後の路地を見つけてはロケした。夜、岡山の辺鄙な漁港で、初出演の今井美樹が扮するヤクザの情婦を、海賊たちが布団で巻いてかっ攫ってくる場面を撮っていると、突如、夜空を何百にも砕けた隕石群が煌々と輝いて降っていくので、撮影が止まった。皆、見とれていた。俳優の一人が「未知との遭遇や。真ん中が母船だ!来やがった!」と。

アホか、今、撮ってる映画こそ未知なんや。皆、気を入れていくぞ、とボクは言い返していた。

(続く)

 

●『無頼』
東北地方では、岩手・フォーラム盛岡の公開の他、青森・八戸、山形、福島で、近日公開予定です。

『無頼』
https://www.buraimovie.jp/
『無頼』予告編動画
https://youtu.be/5Vbit_IwUE0

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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