お世辞と建前と本音と

番長プロデューサーの世直しコラムVol.54
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

こんな僕にも、とても真面目な友だちがいるもので、それがかけがえのない親友だったりすることがあるのです。その男は、高校の同級生で、バスケ部のキャプテン。進学校だったわれらが母校でいつも成績は上位。バスケでは国体の佐賀県代表チームのキャプテンを務め、しかも人格者でもありました。学校の決まりを破るようなことは絶対しないうえに、それを人に押しつけたりもしない。「俺は俺、おまえはおまえ」という考えの持ち主でした。最大手の総合商社に入社し、マサチューセッツ工科大学に社費で留学してMBAの学位を取得。今はニューヨーク支社でディーラーをやっています。絵に描いたような成功者です。

別の学校に通っていた中学時代は、バスケ部でライバル関係でした。気の合った2人は「同じ高校でバスケやろうぜ」って申し合わせて、晴れてその通り、同じ高校のバスケ部に入ることができました。全面的に信頼の置けるすばらしい友人で、今でも真剣につきあいがあります。

高校卒業後、僕が浪人2年目の秋、彼はもう慶応義塾大学の学生だったと思います。お父さんがガンになり、もうそろそろ危ない。彼が東京から帰ってきたので、一緒にお見舞いに行きました。

彼のお父さんは、「この親にしてこの子あり」という感じの、これまた何かを達観したような人格者。一般的には重度の不良の部類に属する僕を、自然に見守って応援してくれたような人でした。 僕は、以前から密かにそのお父さんのことを何かの達人なんだろうなあと思っていて、心の中で「達人」と呼んでいました。その「達人」がガンで病床に横たわっている。弱々しく見えるのが、とてもショックだったことを覚えています。

見舞いに行った病室で、友だちとお母さんがお医者さんから呼ばれて(病状の説明やなんかがあったんでしょう)病室で「達人」と2人きりになる時間がありました。 なんとなく気まずい時間。2年間も浪人して予備校に通っている僕は、何も報告できる成果もなく、何を話していいかわからず、ただもじもじしていました。すると静かに「達人」が、「なあ、光君、人にお世辞くらい言えるようになったかね?」と聞きました。

「は?」

「君の性格は、本当に一本気でおもしろいんだけど、はたから見てるとドキドキするんだよね。そろそろもう、なんでも本当のことを言えばいいってもんじゃないって気づいたかな。君は他人にお世辞なんか絶対言わないよね。言わないというか言えないんだろうけど、大人になると、世の中に出ると、他に大事なことがあったら、嫌でも、お世辞のひとつでもいえるような男にならないとな。でないと、自分のやりたいことがどんどんできなくなっていくんだよ」

突然の「達人」の言葉にたじろいでしまって、頷くことしかできませんでした。もっと詳しく言うと、当時は何のことをおっしゃっているのか真意が理解できなかったんだろうと思います。「ん? 多少世の中に媚びていないと損するってことか? そんなこと言う人じゃないしなあ、達人は・・・」 必死になんか言おうとしたら、ちょうど2人が病室に帰ってきて、その話は終わりになりました。

その後、あまり時間がたたないうちに、再びお会いすることもなく、「達人」は亡くなってしまいました。最後の言葉が、「人にお世辞が言えるような人間になりなさい」だったのです。

「達人」が亡くなった後に、遺品の中から手記が発見されて、家族に対して、思うこと、やってほしいことが書き記されていたらしいのですが、息子に対していろいろ書かれていた中に「櫻木みたいな友だちを大切にしろ。おまえにないものをたくさん持っている奴だ」と書かれていたと後から聞きました。うれしくて、涙が出ました。

それから、20年以上が経ちました。僕も社会人になって今年でちょうど20年です。世間の荒波にいろいろもまれて、多分ふつうの人より痛い目にあって、いろんなことがわかってきました。だけど、「達人」に指摘されたことは根本的にはできてはいないと思うのです。残念ながら。そういう性格だからです。相変わらず、「王様は裸じゃん」って言ってしまいます。

お世辞にかぎらず、常日頃、「建前」的なことに本当に気分が悪くなることがあります。日本の文化は本当のことより建前のほうが大事なことが多いような気がします。僕はテレもなくお世辞を言う奴や、建前ばかり気にする奴、建前を真実だと思いこんで話が見えなくなっている奴が大嫌いでした。これからもそうだと思います。

原発関連の政府の発表にしても、人が死ぬかもしれないってときに、何を守りたいのか事実を隠して、まだ、建前を使いつづけていますね。その建前をさらに建前にして、政権争いまで始めちゃった。 「この期に及んでまだやってるのか?」と思わざるをえません。

会社や組織に所属すると人間関係のめんどくささは、建前を守らなかったときに生まれたりします。力のある人が言われたくないことをぼそっとつぶやいただけで、あっという間に立場をなくしたりします。お世辞に聞こえないような絶妙なお世辞がどれだけの効力を発揮するのかを、目の当たりにしてきました。

ホリエモン(堀江貴文)さん。圧倒的な実力と革新的なアイディアや考え方がありながら、自分の実力におぼれて人の都合やペースを理解できず、いらだったように本音を吐き、ある意味、世の中のことを見下してことを進めてしまったため、それにものすごく腹を立てた人たちに、結局、刑務所に入れられてしまうようなことになっちゃいました。 出る杭は打たれる的な、なんというか、本当にやめてほしい日本的な風習だとも思うのだけど、ホリエモンはもうちょっとうまくやれば良かったのにとも思います。世の中を大きく変える力があったかもしれないのに。そう、もうちょっとうまくやってくれよ。「お世辞くらい言えよ」と。

「達人」が僕に伝えたかったのは、実はそんなに大したことではなく、田舎の大人たちの変な都合や建前に合わせようとせず、疑問に思うことを「なんで? なんで?」と聞きつづけ、気に入らないと毒を吐く。そんな不憫な息子の友だちを、軽く諭しただけだったのかもしれません。「あほかおまえ」と。

それでも、言われたことはなんだったのか? と自分なりに時間をかけて解釈していくと、今になってやっとわかることもあります。

本当のことはなんなのか? 社会生活をしていて、物事は見る角度や立場を変えると、まったく違った見え方になってしまうことがあります。自分が正しいと信じて言い張っても、実はそれが正しくても、それが都合の悪い人や嫌な人には正しくはないのです。理屈が通っていてもです。そのやりとりの中で、最優先事項は何なのかを見失うことがあります。 ある最優先事項を成し遂げるために自分はどう動いた方がいいか、どういう発言をした方がいいかをよく考えて行動する。組織に属す個人には、そういうことが求められるとわかってきました。

「達人」は僕に、決して、「お調子こいて他人をヨイショしろ、媚びろ」と言ったわけではない。 「平たく言ったらこういうことだけど、あんたがそう言うならそれでもいいよ」ってくらいの余裕をもってことに当たりなさいということだったのかもしれない。 自分が振り上げた拳は、降ろしどころを見きわめなければいけないし、他人が振り上げた拳は、降ろしどころをつくってあげなければいけない。 「達人」が言いたかったことは、そういうことなんじゃないかなあ。最近、そう思ったりします。 「お世辞のひとつでも言えるようになりなさい」は「他人の都合や気持ちもわかるような人間になりなさい」ってことだった。つまり本当の意味での教養を身につけろってことでもあるんじゃないだろうか。

大きい人間になりたいです。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~

  • 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
  • 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
  • 2000年にプロデューサーに昇格。
  • 2009年 社名がリフトに変更。

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。

<主なプロデュース作品>

  • AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
  • 日清食品 焼きそばU.F.O
  • マルコメ 料亭の味
  • リーブ21 企業CM
  • コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
  • クレイジーケンバンドPV
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