自分の中での変化に正直に

番長プロデューサーの世直しコラムVol.55
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

自分の中での変化に正直になりたいと思う。

3月11日の震災で、自分の中で何かが大きく変化した。 その何かがなんなのかわからないまま、いろんな違和感を感じながら日々を過ごしている。違和感の正体は、なんなのか?

とても大きな地震が起きて、いつもより建物が揺れ、時間も長く、普通じゃないことが揺れている最中にわかり「こりゃあ死ぬかもな」と思った。赤坂の大きいビルから出てきた時に揺れ始めた。地面の揺れ方は尋常じゃなく、立っていられないほどだったし、ビルもぐらぐら揺れているのがよくわかった。ハリウッド映画の大作自然驚異もの、『2012』とか『ボルケーノ』とかを思い出すような光景だった。どこに逃げても無駄だなこりゃ。大げさでなく、そう思った。

その後、テレビで何度も繰り返された東北地方を襲った津波の映像は、あまりにリアルすぎて吐きそうになった。こんなに恐ろしい映像は見たことがない。911で飛行機がビルに突っ込む映像を、遙かに超えた映像だった。

そして余震が起きるときは、何となく嫌な予感がするようになった。

今回の地震でも、地震直前の動物たちの変な行動がいろんなところで報告されている。金魚が一斉に同じ方向を向いて泳ぎ始めたとか、犬が前の日から何かにおびえるように鳴いていたとか。人に飼われているペットでさえ、異常行動を見せたという話をたくさん聞いた。

「あっ」と思った。「俺って動物だったんだ。」

 余震におびえて眠れなかったり体調が悪くなったりしたのは、自分が地球とリンクして生きている生命体であることの証だったのか。 犬とか金魚とかナマズとかそういう動物と同様な、そういった機能がどこかに残っていても、何も不思議はないのである。

一方、人間がつくり出した人間の社会は、国家も、地域も、会社組織も、元々は自然界に存在しないものである。生まれたときから不自然な中で暮らしているので、その不自然が自然だと勘違いしていただけなのだ。 学校のルール、会社のルール、広告業界のシステム、日本の法律といったことに対応したアプリケーションソフトを躍起になってインストールし、その都度、それらを使って生きてきた。動物であることは迷惑だとさえ考えていた節がある。 ついでに、なんとなく人生設計なんか考えて生きていて、マンションのローンのことや、会社での自分の立場のことや、家族のことや、なんやかんやを毎日一生懸命に考えて生きている。漠然と、老後のこととかも考えている。

感じた違和感の正体は、この「社会の中で生きる自分」と「地球の生物として生きる自分」が、自分のなかで乖離しはじめて、折り合いの付け方がわからなくなっている戸惑いではないのだろうか。

めんどくせえなあ。

つまり、「死ぬかもしれない」という経験をした。それは、戦争や事故と違って、人間が気をつけていれば回避できるといったたぐいのことではなかった。人間は、圧倒的な自然の猛威の前に無力であるということは知識としては知っていたが、自分で経験するのはきっと初めてだったと思う。つくづく、平和の中で暮らしてきたのだ。

自分の中で変わったことは「価値観」だ。はっきりとはしないのだが、このままではだめだという意識が強くなった。自我のリセットが必要になったのだと思う。これからそのことをしっかり考えてはっきりさせなければいけない。

震災後におきた原発の事故を含んだいろんなごたごたを見ていても、自我のリセットができない年寄りたちが、馬鹿じゃないかとしか言えない茶番劇を繰り広げている、繰り返している。老朽化しはじめた日本の社会システムが一気に地震とともに崩れ去っているのに、一生懸命、元の状態に戻そうとしているように見える。ウソばっかり言ってないで、これを機に一気に新しいことを考えた方がいいのに。

政府のやっていることに国民がどん引きしているのは、一般の国民の方が、自分の中の価値観の変化に敏感に気づいているからだ。

それでも自分のことは世の中のせいにはできない。世の中は自分も含むからだ。 「誰のせいでもなく、何の前触れもなく、自分の命が奪われる」というオプションが自分の人生の中に入って来た、というか気づいちゃったのだから、「大事なことは自分で決める」ということを徹底しなければいけないのだろう。そうしてないと後悔することが多くなる。今わかることはそこまでだ。 いろんな人とこの話をしてみたいし、じっくり考えたい。みんなはどう思っているのだろう? 五体満足で生きているからこんなことも考えられるのだろう。本当に被害にあって亡くなった人や苦しんでいる人たちには、申し訳なく思う。ただ、何も変わらなかったら、そういう人たちにももっと申し訳ないとも思うのである。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~

  • 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
  • 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
  • 2000年にプロデューサーに昇格。
  • 2009年 社名がリフトに変更。

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。

<主なプロデュース作品>

  • AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
  • 日清食品 焼きそばU.F.O
  • マルコメ 料亭の味
  • リーブ21 企業CM
  • コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
  • クレイジーケンバンドPV
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