座右の銘

Vol.169
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

 

このコラムの編集担当者から今月のコラムについてメールが来ました。

「座右の銘というテーマはどうですか?ざっと見た限り、これまでそのテーマでお書きになったことはないみたいですので…」

と書いてありました。

 

座右の銘ね。書いてないだろうなあ、あんまり意識したことないもんね。

たまに座右の銘はなんですか?って聞かれることもあります。そういえば。

そういうときは「just do it.です。」

と答えることに決めています。ナイキの企業スローガンです。

バスケが好きでマイケルジョーダンが神様でスニーカー集めが趣味なのでこれです。と。

そう答えると、はあ、って感じで話が終わるから楽だったんです。

まあそうでしょうね。と。

 

ただ、編集者からテーマを提案されてちょっと真面目に「座右の銘」について考えてもいいかなあと思ってしまいました。

昨年、いまさら子供が生まれたり。

身の回りの変化も大きいし、新型コロナのせいで生き方も変えなければ、生き残れないような世の中の変革に直面しているところでもあるからです。

つまり、自分の生きるテーマも時代と自分の年齢に合わせて変えていかなければいけないんじゃないか?と。

 

ということで、調べてみました。

「座右の銘」とは「常に自分の心の中にとどめていて、戒めや励ましとする言葉」と書いてあります。

人間の生き方や戒めや真理を簡潔にまとめた言葉や文章で、何を座右の銘にするかは、もちろん自由。

偉人や戦国武将、芸能人、スポーツ選手などが言った言葉でもいいし、

先祖代々伝わる家訓を座右の銘にしている人もいる。

 

「座右」とは身近で大切な場所という意味。

「銘」は大事なことを刻み込むという意味。

大事なことを身近なところに刻んでおく。という意味なんですね。

「座右の銘」の由来は、後漢時代の詩人が自分を改めるために綴った「座右銘」。

その「座右銘」を書き写して日本に紹介したのがあの空海だと言われているそうです。

 

ちなみに、「座右の銘」は英語では「motto」や「favorite phrase(フレーズ)」だそうです。

みんな、こんなことを意識して暮らしているのだろうか?

 

「自分の座右の銘を持つ」ことは絶対にした方がいいと思います。

くじけそうな時に助けてくれるのは、そういう言葉たちだからだと思うのです。

 

と言うわけで新しく、自分の座右の銘を考えてみることにしました。

 

今までを振り返ってみると、自分の行動を決めていた規範になった言葉があります。

それは、小学生の時に出会った、矢沢永吉の「成りあがり」という本の冒頭の部分に書いてありました。

 

「何がほしいんだ。

 何が言いたいんだ。

 それを、いつもはっきりさせたいんだ。

 いま、こう言う時代だ。みんな、目的はどっかに捨てちまってるみたいだな。

 いいさ、構わないよ、オレは。みんな、そこらへんのボクたち。頑張ればいいじゃん。

 十の力を持っていたら、九までは、塾だ受験だちょうちんだでいいよ。

 でも、一ぐらいは、残りの一ぐらいは、一攫千金じゃないけど、「やってやる!」って感覚を持ちたいね。

 オレ、本気でそう思ってる。」

 

最後までこういった言い回しの、28歳の矢沢永吉が独白した言葉で作られているこの本は

当時の建前でできている学校の先生が言っていることとは真逆の、本当のことを言う人。の本でした。

理想を持つこと。自活して生きること。

この2点のことが他ではあまり聞いたことのない言葉で綴られている本です。

 

「戦いの前提は負い目がないこと

自分の手でメシを食って 誇りを持つこと」

と書いてありました。

 

この本の話をすると長くなるのでやめますが、僕の人格に大きく影響した本と言葉ではあります。

僕の聖書でした。世の中にはそう言う人がごまんといるそうです。

 

何が欲しくて、何が言いたいのか、まずそれをはっきりさせろ

 

自分のことなんだから、なんとなく成り行きに任せるなよ。と自分に言い聞かせて、

これまでのいろんな決断を自分で下してきた覚えがあります。

今でも座右の銘はこれかもしれません。

 

だけど、もう50も過ぎて、自分のことばかり一生懸命考えているのは少し違うような気がして来たのです。

いろんなものの価値観がすごいスピードでガラリと変わっていくこともあります。

世の中も弱い人に対してものすごく優しくなった。昔は厳しかったもんね。

厳しかったと言うか失礼だったんです。

 

他人は他人、自分は自分ということを分けなければいけない。という良い風潮にもなって来たし、

まだ本当に理解できないおじさんたちもいて、心配ではあるんだけど、

パワハラやセクハラから始まって、人種問題、性差別問題、社会的弱者の問題も真剣に話し合われている。

恥ずべきなのは、相手の人格や気持ちを無視して自分のことだけを考え、喋る人間たちだ。と思うわけです。

実はそこを自分でもちゃんとわかっていなかった。

僕も失礼に、失敗した部下を怒鳴り散らしたりしていました。

 

そんな中、70歳になった矢沢永吉が対談で話していた言葉が気になりました。

 

「人は孤独だろ?
 それを「孤独じゃない」というふりをしたり、
 「孤独じゃない」と言い聞かせてることのほうが、
 よっぽど、俺、変な話だと思うよ。

 シンプルに、人間やってると、
 基本、孤独だよね、ということを、
 決めて、理解して、その上で、
 さーて、どうやって自分は立てばいいんだろう?
 立ち位置はどこ? みたいなことでやるほうが、
 ぼくはナチュラルだと思うな。」

 

さすがだと思いました、永ちゃんはいつまでも永ちゃんだったのです。進化なさっている。

自分も孤独。対峙している人も孤独を感じながら生きている。

それを前提に人間関係を考えなければいけないのです。

 

いろんな立場の人の孤独を理解する。

生まれて来たばかりの娘も孤独。それを世話してる女房も孤独。

制作部も孤独。撮影で自分が招集したスタッフですら、演出家の孤独もあればカメラマンの孤独もある。

一人一人責任のある人間はその立場で孤独を感じているわけです。下っ端はもっと孤独かもしれない。

 

そういうことをちゃんと理解して、礼を尽くす。

無神経で勝手なことはしたり言ったりしない。

自分に関わった人に僕と関わってよかったと思ってもらいたい。

これを書いていてそう言う気分になりました。そうしないとあと20年現役はできない。

冗談みたいだけど、どこまで現役プロデューサーでいられるのかの挑戦でもあるからです。

 

 

だから決めました。自分のこれからの座右の銘。

自分に関わってくれた人に喜んでもらう」です。

 

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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