ゴールデンカムイの謎 その16 アイヌの人名その3  魔物に呼ばれたら改名する

北海道
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

赤ん坊には不潔な名前
成長したら特徴にちなんだ名前
美女イケメンには不潔な名前

前回、前々回の記事で、アイヌ民族独特の「命名法」を紹介させていただいた。

生まれたばかりの赤ん坊には、「きれいな物を好む病魔」に好かれないよう、あえて不潔な名前をつける

 ある程度成長してそれぞれの特徴が現れ始めたら、それらにちなんで「本式の名前」をつける。例えば「眼が大きい」「灰を巻き上げる」「種蒔きが上手い」「言葉に重みがある」「慌て者」などなど。中には「兄弟で夕食の貝を奪い合い、鍋をひっくり返して大火傷した。そこで、その事件にちなんだ名をつけた」という例まである。

逆に言えば、兄弟げんかをするような歳になっても「本式の名前」が付けられていなかった、という訳だ。そんなわけで、「つよし」と名付けたら弱い子に育ってしまう「名前負け」の災難も起こりにくかった。実態を見極めた上での命名なのだから

 だが、病弱だったり、あるいは並外れてルックスに優れた子供の場合の場合は、実態がどんなに儚く美しくとも、いや美しいからこそ「本式の名前」であっても「不潔」なものになる。きれいな物を好む病魔に取り憑かれないよう、あるいは善の神であっても見込まれて天界に連れていかれないよう、せめてもの防御策なのだ。

 

 名前は一生もの
だが、特別な事情で改名OK

基本、親からもらった「本式の名前」は一生ものである。
親の心子知らずで「不潔な名前」を嫌がり別の名を自称すれば、神事や先祖供養でいかに敬虔に祈ったとて、大切な捧げものが神や先祖のもとに届かず不信心者、親不孝者扱いされる。

だが、ある事情によっては名前を変えざるを得ない
ある状況…それは魔に見込まれた折だ。

 アイヌ民族の生業は自然の恵みに依存していた。
男性は獣を迎えて肉と毛皮の恵みを授かり、女性は融ける根雪と共に芽生える山菜を摘む。生業の場は山中である。

 夢中になって獣を迎え、眼を皿のようにして山菜を探し求める。
ふと気が付くと、誰かの声がする。
誰かが自分の名を呼んでいる

 そんな時、「電話はワンコールで応対!」と仕込まれた新社会人のごとく咄嗟に「ホー!」(はい)と返事をしてはいけない。
とりあえず無視する。

一度の呼び声に知らんぷりすれば、相手は2回、3回と続けて名を呼んでくるだろう。
それが確認できれば、返事をしても良い。
名を呼んだ相手が「仲間、人間」だと確認できたからだ。

 名を一度きりしか呼ばれなかったとしたら、それは魔物のしわざである。
魔物の呼びかけにうっかり返事をしてしまったら…
見込まれた証拠だ。

 そんな時は、すぐさま改名しなければならない。
怠れば数年のうちに命を失う。

漫画『ゴールデンカムイ』の参考文献のひとつで、有名な「ラッコ鍋」のネタ元である書籍『アイヌ民譚集』にこんな逸話が載っている。

 室蘭に、明治10年頃に生まれた「カクラ」という名の女性がいた。もともとカクラとはナマコの一種であるフジコのことだが、幼少期の彼女は成長が遅く、フジコのようにゴロゴロしていた。そんなわけでカクラと名付けられたという。
さて彼女が14歳の折、日高の海岸でウニを捕っていたら、沖のほうから何者かに「カクラ!」と呼びつけられたような気がした。
何の気もなしに「ホー」と返事したが、沖にも浜にも誰もいない。
これは魔物に見込まれた、ということで、すぐさま「ソーピリカ」(潮が引く)と改名した。
そのご利益か、ソーピリカは昭和18年(1943)になってもずいぶんと元気だった。

 

面白いことに、
「山で何者かに呼ばれても、すぐに返事してはいけない。2度3度呼ばれたのを確認した上で返事をしなければいけない」
「一度きりの呼びかけは、魔物の仕業である」

との言い伝えは日本本土においても、樵やマタギの間で伝承されている。

ミッシリとした生命が横溢する山野
目に見えない何者かが息づく林野

そう、何者かが潜む…

 大自然への畏れの感情は、民族を問わない普遍的なものと言うべきか

 

※参考文献

『アイヌ民譚集 付、えぞおばけ列伝』知里真志保 岩波文庫 1981年
『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』中川裕 集英社新書 2019年

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。

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