戦場のきびだんボ 昭和20年8月18日 千島列島 占守島の戦い

北海道
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

北海道の銘菓
「きびだんボ」もとい「きびだんご」

 去る9月上旬より、ネット上でたびたびヒットする謎の言葉

きびだんボ」。

 発端は防衛相・河野太郎氏のツイート。
氏が山本朋広防衛副大臣からもらった北海道土産の菓子。
そのパッケージには桃太郎の絵、北海道型の小窓切り抜き、

そして名称は「きびだんボ」。

 桃太郎と言えば「きびだんご」だが、なぜ「きびだんボ」なのか?
種をあかせば、最後の文字はカタカナのボではなく、江戸時代後期まで使用されていた変体仮名の「こ」。
変体仮名の「こ」は、字体が「ホ」に似ている。
それを「go」と読ませるため濁点を打てば「ボ」に似た自体となる、というカラクリだ。

 「きびたんボ」は道民になじみ深い菓子である

コンビニやスーパーに買い物に出かけ、予定の物を買い求めていざレジに向かえば、ふと小腹を満たす嗜好品が欲しくなる。
そんな消費者のニーズにこたえレジ周りには和菓子や駄菓子の類が陳列されているものだが、そんな「レジ菓子」の北海道における定番が「きびだんボ」。
桃太郎の絵が描かれたパッケージを開けば、オブラートに包まれた茶色い求肥状の餅が顔を出す。
材料は餅米、生あん、砂糖、麦芽水飴。口に運べばパリッとしたオブラートが唾液で浸されヌルリとした食感に変わりゆく中で、餅本体のネッチリとした濃厚な旨味が口中にとろける。小腹を満たすには十分すぎる。
糖分は瞬時に体内に吸収され、エネルギーとなってくれるだろう。
大正時代より製造が開始された「きびだんボ」は、戦時中には日本軍にも納められていたという

 この「日本軍に納められていた」ことが、重要な歴史的事実なのだ

 

昭和20年 終戦直後
北海道侵略をもくろんだソ連

 今から2年前の平成末期、筆者は一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場 (PHP新書)を読んだ。
昭和20818日。玉音放送の3日も後に、千島列島の東端で発生した日本軍とソ連軍との戦い。その顛末を少年戦車兵の視線から追った秀作である。

 占守(しゅむしゅ)島

 

アイヌ語のシ・モシㇼ(大きな島)を地名語源とするこの地は、北海道から北方領土を経てはるばる続く千島列島の東端。
当時の大日本帝国領の最東端にして、ソ連領カムチャッカ半島とは目と鼻の先である。
昭和1612月、太平洋戦争開戦。
当初こそ連戦連勝だった日本軍だが、体制を立て直した米軍の猛攻により各地で敗退を重ねていた。
はるかアリューシャン列島のアッツ島では守備隊が米軍の攻撃の末、玉砕している。

しかし占守島では、日ソ中立条約のもと平穏な空気が流れていた
開戦以来、戦闘はまるでない。駐屯する部隊の敵はアメリカよりも、むしろ冬の酷寒と吹雪。
だが雪が解ければ島は一面の花畑と化し、午前2時には夜が明ける初夏になれば川には溢れるばかりの鮭鱒が昇る。
兵舎の食卓には新鮮な魚が上る。
睡眠障害に悩む白夜の高緯度地帯ではあるが、栄養状態は良好だった

餓死におびえる南方戦線とのなんたる違いだろうか。

 やがて昭和20815日。
玉音放送、無条件降伏の知らせに涙こそ流したものの、兵士一同の胸中に萌したのは
「これで帰れる」という安堵感であった。
戦わずして終戦を迎えた基地には、豊富な備蓄食料が残されておる。
旬の鮭マスに日本酒、あるいはキャラメルなどを並べて「残念会」の宴を開き、
翌日から着々と武装解除の手はずを整えていた。
あとはいずれ島に駐屯するだろう米軍に、武器を引き渡すだけだ。

 彼らは、数日前にソ連が中立条約を破り参戦した事実を知らなかった。
そしてソ連が北海道侵攻の足掛かりとしてカムチャッカと目の鼻の先の当地上陸
いずれ制圧の準備を整えているとの事実など未知数だった

 818日。
「終戦」から3日後の深夜、突如として島を急襲する国籍不明の兵団
唖然とする駐屯部隊だが、敵はアメリカでなく「ソ連」と悟りすぐさま戦闘態勢に移った。
だが保有する戦車は武装解除により、大半が使用不能。
それでも動く個体を集め、戦車第11連隊長・池田末男大佐の指揮のもと攻撃を開始した

 戦いは日本軍優勢だったが、軍命により21日に日本軍が降伏して停戦が成立する
日本軍の戦死者は300人。生き残りの日本兵はすべてシベリアに抑留された。
だがソ連側の損害は日本以上に多く、1000人以上の死者を出している。
この戦いの結果いかんでは、千島を南下するソ連軍は、北方四島はおろか北海道本島にまで侵入、
結果として今に至るまで日本北部が分断国家、
あるいはソ連・ロシア領になっていた可能性も否定できない

少年戦車兵の活力となった
きびだんボ 

さて、上に記した書籍『一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場 (PHP新書)』は
「占守島の戦い」の顛末を小型戦車部隊・通称「豆タン」の少年兵の視点から追ったものだ。

 かの少年兵・小田氏は当時17歳。甘いものが好きだった。
敵襲の知らせを受け戦車部隊を整え、出撃する。
その折、彼が咄嗟に車内に持ち込んだ食料品は乾パンと共にキャラメルや羊羹など菓子類。
そして「北海道名物の菓子 きびだんご」(原文ママ)だったというのだ。

 羊羹や「きびだんボ」は小田氏の血肉となり、占守島の戦いを日本軍優位に展開させた。
北方四島含め千島列島や樺太はともかく、北海道がソ連に蹂躙される最悪の展開は避けられたのである。
なお、その折に占守島の隣、幌筵(ぱらむしる)島の缶詰工場には400人の日本人工女がいた。
彼女らは兵士の護衛のもと島を脱出し、大半が無事に北海道本島に帰還している。

 ミツバチ族に沸く夏の北海道

「北の国から」にあこがれ富良野の丘を歩み、ラベンダーの香りを堪能

焼きたてのタコ焼きに削りカツオを振りかければ、湯気でヒャラヒャラと踊る。

それをハフハフがっつきつつ、チャンコチャンコの盆踊り

 そして、セイコーマートに入ればまず立ち読み、ついでビッグチキンカツ弁当をレジに差し出し、
レンジであっためてもらう間にふと気が付いて、レジ横の「きびだんボ」に手を伸ばす…

 

こんな何気ない幸せ。
昭和後期平成初期の日常。
高度経済成長後の資本主義国・日本国北海道の日常は守備隊の奮戦のたまものであった

分断国家化を阻止してくれた占守島守備隊
そして彼らの活力となった「きびだんボ」に感謝しなければならない。

 

北海道を守った、昭和20年夏・戦場のきびだんボ

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。

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